四双八輩

四双八輩

天界では善行を積みにくいことはこの前も書きました。
中には、善業パワーをチャージするために、あえて人間に転生する神々や、仏道修行をして預流果(よるか)になって永遠の切符を手にする方々もいらっしゃいます。

 

預流果(よるか)の場合は、仏道修行をして天界へ行き、しばらく天界にいて再び、人間界に戻って仏道修行を行う方ですね。人間界と天界を行き来しますが、最終的に涅槃に至る、特別な存在だったりします。

 

預流果は、神々が意を決して人間に転生して善業エネルギーをチャージしようとすることと似ては居ますが、本質的に異なります。預流果は最終的には、輪廻のサイクルから脱出してしまいます。「サヨナラ輪廻〜」をしてしまうわけです。しかも「不退転」という絶対に道を外れることなく、必ず涅槃に入るという特進コースを歩む別格の生命でもありす。

 

預流果以外の神々の場合、人間になって善業エネルギーを充てんをしようとしても、リスキーな側面もあります。人間は、出来心で何をしでかすかわかりません。気がついたら、ヨっぱらって裸になって公園で逮捕されることもあるくらいです。

 

その点、預流果になりますと絶対安心。将来設計もバッチリの「これなら安心」プランです。

 

ちなみに預流果(よるか)のほかには、「一来果(いちらいか)」「不還果(ふげんか)」と呼ばれる方もいらっしゃいます。一来果とは、死後、天界へ一回行って、もう一回人間に転生してきて、人間のときに涅槃に入って「輪廻よサラバ」とされる方です。

 

不還果は死後、色界という天界の最高位である「浄居天」に生まれ変わって、そこでの生命が終わった後、自動的に涅槃に至る方です。もう二度と転生しないので「もどらない」という意味の「不還」なわけです。

 

仏教を修行して悟りを得た「預流果(よるか)」「一来果(いちらいか)」の方は、涅槃に入るまで必ず天界と人間界を行き来するようです。

 

ここまでは前々日の復習も兼ねています。

 

ちなみに、仏道修行で到達できるこれらの位階を「四双八輩」(しそうはちはい)ともいいます。

 

・預流果・・・人間と天界を7往復している間に涅槃に入る(ブッダになる)

・一来果・・・人間と天界を1往復して涅槃に入る(ブッダになる)

・不還果・・・浄居天という色界の天界に転生して神となり、そこでの寿命が終えた後に涅槃に入る。

・阿羅漢果(ブッダ)

 

というように、修行が進んでいきます。
最終的には阿羅漢としてのブッダになります。

 

ちなみに、ブッダ(阿羅漢)になれるのは人間だけです。
人間以外の生命にブッダはいません。

 

神々でも浄居天の神以外は涅槃に入ることができません。
実に、人間だけがブッダに至れる生命であったりします。

 

この際だった特質が、後世の大乗仏教でもよく言われる「仏性(ぶっしょう)」の本来の意味です。

 

この話し、次回に続きとしましょう。