業報のパターン

結局、業の報いは、

・心
・物質

の両方が報いとなって返ってきますが、ここでパターンを整理しますと、

・心・・・清らか
・物質・・・施しをする
⇒物質的にも恵まれ、快楽が多い人生・・・幸せの多い人生

・心・・・清らか
・物質・・・施しをしない
⇒物質的には恵まれないが、快楽の多い人生(普通の人、清貧を楽しむ)・・・幸せの多い人生

・心・・・汚れている
・物質・・・施しをする
⇒物質的には恵まれているが、心が貧弱(常に欲求不満、暴君、権力にあぐらをかいて人々を苦しめる)・・・物に恵まれても不遇感の多い人生

・心・・・汚れている
・物質・・・施しをしない
⇒物質的に恵まれず、心も貧弱・・・不遇の多い人生

このようになります。

ザックリと説明していますが、おおよその傾向は分かると思います。これらのパターンでおわかりの通り、「心の状態」が幸不幸の決めてになります。

だからお釈迦さまは「心を浄めましょう」とおっしゃるわけです。布施(施し)も大切ですが、それ以上に、戒(心を浄める)が重要なのですね。

そうして、業報は、心が感受(心が受ける)わけです。いくら物に恵まれていても、心が汚れているなら、苦痛を感じます。仮に物に恵まれていなくても、心が清らかなら、快楽を感じます。

善行といえば「何かをほどこすこと」と考えられています。道徳な善行も社会に貢献する、人助けをするという「外見的」なことが重視されがちです。宗教団体も数多くありますが、そこで推奨されている善行の多くは「お布施」です。お布施をすることであなた方は幸せになれると説きます。

しかしこれらが不正確なことがおわかりいただけると思います。もちろん、外見的な善行も大切です。施しは大切な善行為です。ですがそれ以上に大切なのが「心の有様」なのです。

仏教での善悪の基準も「心」になるのも、果てしない輪廻転生を見届け尽くしたお釈迦さまの卓越した見解なのでしょう。

世に多い成功哲学や成功法則も見直しが必要でしょう。本質的に「成功」の意味が異なるのです。本当の「成功」とは、心が綺麗になることです。

このことは人間誰しも、本能的に直観していることです。実に「心の有様」こそ、最も重要なことだったのです。

善行は、お金も何もかけずに、気持ちさせあれば誰でも今すぐ、今ここでできる実践行なのです。