天界の悩み?

さて、天界の話しの続きです(こちらより)。

天界は、六欲界、色界、無色界の3つの構造世界になっていて、そのうちの六欲界は六層になっています。六欲界は、天界で一番下ですが、一番下といっても、人間が感じる幸せとは桁違いの幸福感に包まれる世界です。

人間が感じる幸福感が「水滴」とするなら、六欲界の幸福感は「大海」といいますので、想像を絶する幸福感を享受し続けるわけですね。

しかもその時間も900万年~92億1600万年です。気が遠くなるような長期間、幸福感にひたっておられるわけですね。

苦あれば楽ある人間の世界と比較すれば、格段に幸せな世界ですね。浄土宗の極楽に近いところもあります。

ちなみに浄土宗の極楽は、六欲界の天界ではなく、色界の最高位にある浄居天(じょうごてん)を言っていると思います。色界の天界については、またいずれ説明いたします。

六欲界の天界は、人間界の幸福感とは比較にならないほど幸せ一杯の気持ちなわけですね。しかも、なんと、この幸福感がほとんど途切れること無く、永続するわけです。朝起きてから、夜、床につくまで、ずーっと幸せな気持ちで一杯で、これが900万年以上も続くわけですね。

天界はどこにある?

ところで天界はどこにあるかといえば、地上から約50m高さから存在するようです。こちらではこの世界がどうなっているのかをご説明しましたが、須弥山という目に見えない高山があるようです。

この地球の地表には、人間、畜生(動物・虫)、餓鬼の3つの生命が存在しています。餓鬼は、通常、人間の目には見えませんが、幽霊や浮遊霊、地縛霊などといった名称で呼ばれていて、時々、人間にも目撃されたり、写真に写ったりしてテレビでも紹介されてお茶の間を賑わすことがあります。

神々が住んでいらっしゃる天界は、地表50m以上からあるようです。古い神社や自然の神を祀る場所に、高山がありますが、これは単なる偶然ではないかもしれません。古代の人々が直感で感じ取ったとか、神々とコンタクトをしたのかもしれませんね。

ですが、神々の中には、地表にテリトリーを作る方々もいらっしゃいます。このことは、実は、「ブッダ最後の旅」としても有名な「大パリニッバーナ経」に出てきます。神々が地上に降り立って、そこに集っている姿をお釈迦さまはご覧になります。神々が降り立つ場所は、力のある人間の王が統治して繁栄する国を作るといったことをお釈迦さまは述べています。⇒ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (ワイド版岩波文庫)

関係ありませんが、日本はイザナギ・イザナミが作ったとされていますね。古事記でもおなじみの国作りの神話ですが、この神話はあながち嘘ではないかもしれません。

神々が降り立ったこの日本という国が、このように繁栄しているのも、「ブッダ最後の旅」を読みますと、なんとなく納得してしまいます。

天界の悩み

話しがそれましたが、天界とは、意外と身近にも存在していますが、素晴らしい世界ですね。六道輪廻で生命が輪廻転生するなら、天界だけを巡っていたいものです。

そうすれば輪廻も怖いことはないでしょうしね。永久に天界を輪廻し続けることができれば、「勝ち組輪廻」かもしれません。

※しかし天界だけを輪廻することは無理です。「勝ち組輪廻」は理屈の上からもできません。このことは近いうちにお話しいたします。

しかし、この素晴らしい天界にも問題があります。神々の悩みといってもよいかもしれません。それは何かといいますと、なんと「善行がしにくい」ということなんです。

「え!?」と思うかもしれませんが、そうなのです。

神々は、幸せモードの心に固定されていて、その心が人間のようにダイナミックに動くことはないようです。

ですので、人間のように自発性を発揮して、善行に励んだり、取り組むことが大変難しいようです。ひたすら幸福感を受けるだけであって、自分から善行をすることが難しいようなのです。

神々は素晴らしい方々ですが、反面、心を自在に変化させて自発性を発揮し、善行をするのが困難といった側面があるようなのです。

このとは、人間の体は固く、伸ばしたりすることは人体の構造上、容易ではないことに似ているといいます。

人間の体はヨガなどをすれば間接も柔軟になりますが、一般的には身体は固く、簡単に変化させることはできません。

神々は、身体は自由自在に伸ばしたりすることができるようですが、心がプラス思考で固まっていて動かすことが難しいようなのです。

人間と正反対ですね。人間は心を自在に変化できますが、身体は自由が効きません。神々は身体は自由に変化できても、心が自由に変化しないようです。

それと黙っていても極上の幸福感に満たされますので、あえて善行しようとする気持ちもわきにくいのではないかと推察します。

天界での生活は受け身が多くなり、単調で同じことを繰り返す退屈な生活と評する方もいるようです。定時に出勤して定刻に帰って日々同じ生活をするパターンに、どことなく似ていると言われる方もいます。

天界は素晴らしい世界ですが、このように心の自由が利かない側面もあるようです。こういう特徴がありますし、寿命が来ればいずれまた別の生命に転生するわけですが、その時、天界に再び転生できる保証はないようです。

天界の生活では善業エネルギーを蓄積する(善行をする)ことはやりにくく、善業エネルギーを消費することだけになりがちですので、よほどの善業エネルギーが無い限り、天界への再生は困難な印象です。現実は、人間以下の生命に転生することになることが多くなると思います。

話しはまだまだ続きます。