仏教

三悪趣(地獄・餓鬼・畜生)エントリー一覧

幽霊の正体は餓鬼

さて前回からの続きですが、よく巷で「霊」「幽霊」とか言われていますが、この正体は「餓鬼」です。餓鬼が幽霊、霊と言われている存在になります。そして、リアルに存在しています。波動が違いますので、通常の人間の目には移りませんが、意外と身近に多く存在しているようです。

 

餓鬼は、一つの生命形態です。前世において、強い執着、後悔、怨念を残した場合、餓鬼へ転生するようです。自殺して悔恨の念を持った方も餓鬼になる場合があるようです。

 

餓鬼は、大変不安定な心を持ち、常に穏やかではありません。イライラ、不安、悲しみ、愚痴、落ち着きが無い、そういったネガティブなメンタリティになっているのが特徴で不安定な精神をしています。

 

餓鬼は、前世のことを覚えていますので、何故、自分が餓鬼になったのか理解しているといいます。それもあって、いつも後悔の念に捕らわれて、悲しい・悔しい・無念といった気持ちのまま、決して明るい気持ちになることはないといいます。寿命も長く数百年から1000年くらい生き続けるようです。

 

姿形は奇異で、異様な姿態をしています。ですが、動物や人間に似た姿など多種多彩のようです。稀に人間が見たりすると、その異様な姿にびっくりするわけです。姿形は、人間以上に個性的で、同じ姿をした餓鬼は存在しないとまで言われています。大きさも小さいものから、大きなものまで、手足の長さも胴体の作りも様々です。

 

餓鬼は、様々な名称で呼ばれています。幽霊、浮遊霊、不成仏霊、魑魅魍魎、動物霊など様々な呼ばれ方をしています。全てリアルに存在し、人間の身近に多く存在しています。特に暗いところや人気の無い所を好んでいるようです。

 

人間も生前、恨み、嫉妬、欲求不満、イライラ、落ち着きが無いといったネガティブな感情や考え方が多く、占められていると、死後、餓鬼に転生する可能性が高くなるといいます。餓鬼に転生すると長期間、苦悩の心に固定され、業が尽きるまで餓鬼のままになります。業が尽きると、再び別の生命に転生していきます。

 

餓鬼は、地獄・動物と並んで、三悪趣(さんあくしゅ)という悪処になります。お釈迦さまも「悪趣には転生しないように」と忠告もされています。ですからできるだけ偏りが無く、穏やかで安定し、慈愛に満ちた生活で日々過ごしたいものです。

 

 

霊障の本当の話し

 

よく「霊障」と言いますが、実は霊障は餓鬼が関与してきた稀なケースになります。何か浮かばれていない、得たいのしれない物の怪が取り憑く、というオカルトではなく、リアルな餓鬼という生命が関与する特殊なケースになります。

 

餓鬼は稀に人間に関わってくることがあるようです。餓鬼は、人間のネガティブな感情が大好きで、人間がイライラしたり、怒ったり、嫉妬したり、恨んだり、落ち着きがない姿を見ると、それをエネルギーとして、餓鬼の生命力を高めていくようです。そうして、そういった人間に近づいて、取り憑いたようになるようです。

 

こういったことはそれほど多く起きることはないようですが、このような現象が「霊障」になります。祟り話や怨霊は、苦悩に満ちた餓鬼が、生前、自分をとがめた者への復讐にもなります。しかし餓鬼に対して回向(えこう)をしてあげたり、謝罪したり、人間の気持ちを陽気にしたり、慰めたりすることで離れていくようです。

 

気持ちをいつも前向きで明るく、朗らかな生活をしていれば、餓鬼が近づくことはないようです。餓鬼は身近の至る所にいるようですが、ネガティブな感情を出すことがなければ別に悪さをすることはないようです。

 

餓鬼といえども、一つの生命です。動物は目に見えますが、餓鬼は目に見えないだけであっても生命です。人間は動物は大切にしてペットにもしますが、餓鬼が異様な姿だからといって邪険にすることなく、可哀相だなという慈しみの心を向けて、餓鬼の幸せを願ってあげることが大事なようです。

 

そうして、餓鬼に対するこの心が、「回向」のルーツであり、またお盆での供養のルーツでもあります。

 

 

回向とは餓鬼の転生を願う人間の心遣い

 

死後、浮かばれていない先祖というのは、実は餓鬼に墜ちた方々で、その方々へ心を込めて回向差し上げれば、中には餓鬼から別の生命へ転生していくことがあるようです。これが49日の話しの元にもなっています。

 

回向やお盆の話しは、実は後世に整理されたパーリ仏典「餓鬼事」経に載っています。決して迷信ではなく、また幽霊のように忌み嫌ったりするのではなく、一つの生命として、その存在へ慈しみの心を向けてあげることが大事といいます。

 

お盆の季節になりますと、年中行事として先祖供養もさかんになりますが、一年に一度は、餓鬼さん達の幸せを願い、別の生命への転生(いわゆる成仏)を願って差し上げることも善行になるでしょう。

 

決して迷信ではありませんので、見えなくても、そのようにしてあげるとよろしいかと思います。

 

餓鬼や回向、お盆のことは下記の本にも詳しく載っています。興味のあります方はお読みになってください。

 

 

続きを読む

2012/06/20


動物・虫への輪廻転生

輪廻転生の解説。今日は畜生界です。
畜生界とは動物の世界です。しかし動物だけでなく、昆虫・虫も含まれます。
畜生界とは動物や虫の世界です。

 

輪廻転生では、「人間は動物に転生しない」という人もいるようですがこれは違います。人間も生前の業によっては動物や虫へ転生します。

 

ちなみに、餓鬼にしても動物や虫にしても、地獄界から転生してくるケースが多い感じです。何億年、何十億年間、地獄で生き続け後に、餓鬼や動物となって生まれるケースも多い印象です。

 

ですが人間も行いによっては動物へ転生するようです。
しかし、お釈迦さまは動物へ転生すると大変であることを、パーリ中部経典「癡慧地経」でおっしゃっています。

 

いったん動物や虫に転生するとなかなか人間に転生することが難しくなるようです。動物が人間に転生するのは、大海に瓶が漂い、その瓶の中へ、盲目の亀が首を入れる確率だといいます。
要するに、動物が人間に転生するのは「あり得ない確率」ということです。

 

この理由は、畜生はダンマを実践できないどころか、善行もできないからだといいます。むしろ弱肉強食で戦い、足を引っ張り合って、地獄や畜生の世界を行ったり来たりすると思われることが書いてあります。

 

癡慧地経では、草食動物、排泄物を食べる動物、虫、ウジ、ミミズ、魚、ワニに転生する条件も書いてあります。畜生は、ただ恐怖と恐れ、怯えにとらわれ、思考が働きません。善行への気持ちすら出てこないわけです。その点、餓鬼はまだ思考が働きます。

 

動物から人間に転生するのは大変だとお釈迦さまはおっしゃいます。。。

 

また「悪見」という邪な思想にかぶれて、それを信条とするのも危険なようです。悪見の代表的なものは、因果法則を否定する、道徳を否定する、妄想の強い思想や考え方のようです。テレビで流れる情報には、この手のものが時々ありますね。

 

かなりゾっとする話しかと思われます。
動物への転生は怖いのですが、では動物に転生しないために、どうすればいいのでしょうか。。。

 

一つの答えは、施・戒を行うことですね。また食べ物の選り好みをしないことも、癡慧地経を読むと必要な印象です。基本的には、物質的・精神的に施しを行い、そうして五戒や十善戒を行うことになるでしょう。飽食の時代とも言われますが、食べ物を粗末にしないで、ありがたくいただくことも必要かもしれません。

 

現代はマスメディアの普及によって、欲望が過剰に刺激され、感情的にもなりやすいですし、思考力も停止しやすくなっていますので、なかなか施や戒を実行するのが難しくなっています。

 

人間は、周囲の環境の影響を受けます。周囲の人達がメディア等の悪影響を受けていて、そういった人達を交われば次第にこちらも影響を受けてきます。こういった点もあって現代は基本となる施や戒が実践し難い時代と言えるかもしれません。

 

ですが、できるだけ悪影響を受けないように心を強くして、対処していかなければならないと思います。こればかりは仕方ありません。悪友との交わりは、お釈迦さまも戒められていましたので、心が汚される感じがする場合は、その環境を避けるか、ヴィパッサナ瞑想、あるいはプラス思考、慈悲の瞑想をするなど、心を保てる方法をフル活用して、心の健全性を保つ必要があります。

 

こういったことは決して個人主義ではありません。自分も生命の一人です。自分も含めて、周囲も幸せになるのが望ましいですね。ですから、環境や付き合う人に問題があるなら、改善するか回避をする必要があります。自分に悪影響を及ぼす環境や人とは縁を切るくらいの勇気も必要でしょう。そして、自分を正しく守り、周囲の人達にも善性を示すくらいですとより良い善行にもなると思います。

 

マスメディアの悪影響を受けて、人間が動物的な行動を取るようになりますと、死後、動物や虫に転生する可能性が高くもなるようです。また思考停止も危険なようです。自分で考えられず、ただいいなりになってしまい、知らず知らずのうちに悪行に浸ることもまた危険なようです。

 

ネガティブな話しに感じられるかもしれませんが、本当に言動には注意する必要がありますね。危険と察知されたなら決してその環境や人に深入りしないのが、現代での処世術かもしれません。

 

そうして、自分ができる世界や範囲で、人に施しをし、戒を実践できる仲間を作るとか、そういった志のある方とともに人生を歩んでいくことが大事かとも思われます。

 

悪趣に陥らない生き方を工夫することは本当に大切であると思います。

 

今日のブログは恐ろしい話しになってしまったかと思いますが、注意事項として知っておくのは決して無駄ではないと思います。

続きを読む

2012/06/21


地獄の世界

今日は原始仏教が説く「地獄」についてお話したいと思います。。。
正直なところ地獄についてお話するのはかなり抵抗感があります。なぜなら大変恐ろしいからです。原始仏教で説かれる地獄はリアルです。空想や妄想の産物ではなく、実際に存在する世界になります。
地獄については、パーリ中部経典「癡慧地経」「天使経」、増支部経典・三集「天使品」、また「スッタニパータ」、あるいはアビダンマッタサンガッハなどに詳しく書いてあります。

 

 

●八大地獄

 

地獄は八つの世界に分かれていて、これを「八大地獄(はちだいじごく)」といいます。アビダンマッタサンガッハは八大地獄のポイントを示してを簡潔にまとめています。
地獄に墜ちると、何十億年という間、ひたすら「苦痛」だけを感じるといいます。快楽はなく、ただ苦しい・苦しいという想像を絶する苦痛が、何億年、何十億年と続くといいます。地獄には獄卒(ごくそつ)がいて、地獄の亡者達に苦しみの限りを与え続けるといいます。迷信や空想の産物に思われがちなのですが、リアルな世界の話しになります。

 

八大地獄そのそれぞれは巨大な空間で四隅に門があるといいます。獄卒がいて地獄の亡者を追い回します。亡者は逃げようとしますが、門の壁には巨大な炎が立ち上がり逃げることはできず、しかも上空からも炎が降ってきて焼かれるといいます。しかしそれでも死ぬことはできず、またよみがえり、寿命(業)が尽きるまで地獄の苦しみがずっと続くといいます。

 

経典には「悪い行い(業)が尽きるまでは死ぬことができません」と繰り返し書いてあります。何億、数十億年これが続くようです・・・。
そしてこの八大地獄とは、

 

1,蘇生地獄(等活地獄)
獄卒に無理やり、灼熱の鉄板の上に寝かされて、しかも体をミンチのように切断され激痛に襲われて意識を失い死んだと思っても、間もなくよみがえり、これが延々と続く地獄です。

 

2.黒縄地獄
鉄の縄、固いワイヤーで、獄卒に切り刻まれる地獄です。

 

3.圧縮地獄
獄卒に追われて逃げるも、紅蓮の炎の山に行き当たり、しかもその山々が迫ってきて潰されてしまう地獄。

 

4.叫喚地獄
苦痛で泣き叫びが絶え間なく響く地獄

 

5.大叫喚地獄
より苦痛で激しく泣き叫びが絶え間なく響く地獄

 

6.焦熱地獄
灼熱に焦がされて苦しみ続ける地獄

 

7.大焦熱地獄
より強い灼熱に焦がされて苦しみ続ける地獄

 

8.無間地獄(阿鼻地獄)
苦しみが病むことがなく延々と激痛や苦しみに襲われ続ける地獄で最も苦しい地獄。

 

以上が八大地獄の概要です。

 

 

●5つの小地獄(八大地獄のそれぞれに隣接する地獄)

 

ところが、八大地獄のそれぞれにの世界には、さらに5つの小世界があるといいます。
それは

 

1.大糞地獄
体中を食らい尽くすウジが生息する世界。ここに墜ちると体が食い尽くされる。

 

2.熱灰地獄
灼熱の灰の地獄

 

3.有刺樹林地獄
炎で燃えさかるシンバラという刺のある森林地帯。串刺しになる。

 

4.剣葉地獄
刀剣の森で、木の葉が全て剣であり、体に当たって微塵切りになってしまう地獄。

 

5.灰汁地獄
腐敗液に満ちた世界で、ここに墜ちて苦しむ世界。

 

大地獄である八大地獄での寿命が尽きた後に、これら5つの小地獄に転生するといいます。いわば地獄巡りを続けるようです。
※参考文献:パーリ中部経典「天使経」、増支部経典・三集「天使品」

 

 

●その他の地獄

 

八大地獄と小地獄は代表的な地獄のようでもあり、これら以外にも地獄があります。たとえば「歌舞伎聚楽主」で説かれた芸人が行く「喜笑地獄」というのもあります。

 

また最も古い経典の「スッタ・ニパータ」では、コーカーリヤという出家修行者がサーリプッタやモッガラーナを根拠も無くやたらと批難していた罪で地獄に墜ちたことが書いてあります。

 

出家修行者でも地獄に墜ちる訓戒となる話しなのですが、ここには、

 

アッブダ地獄
ニラッブダ地獄
アババ地獄
アハハ地獄
アタタ地獄
クムダ(黄蓮)地獄
ソーガンディカ(白色の睡蓮)地獄
ウッパラカ(青蓮)地獄
プンダリーカ(白蓮)地獄
パドゥマ(紅蓮)地獄

 

があることが書いてあります。

 

 

気が滅入りそうな地獄の世界ですが、お釈迦さまは「地獄だけには墜ちてはならない」と説かれます。

 

地獄に行く行為とは、これも経典で散々と言われています。

 

「悪しき考えを抱き、悪しき言葉をしゃべり、悪しき行いをした後、死んで肉体が滅んだ後、落ち行く先である」

 

つまり、身口意の三業(しんくい-の-さんごう)が汚れた行為を続けていると地獄へ行くようです。
五戒や十善戒と正反対の行いをするとよろしくないようです。

 

決して恐怖心を煽るわけではありませんが、善き生命であり続けるために、五戒や十善戒は守って、世間や他人に施しの実践はされるほうがよろしいかと思います。

続きを読む

2012/06/22


地獄はどこにある?

さてこのような地獄ですが、地獄はどこにあるのでしょうか?

 

推測になりますが、地獄は、地球の内部に存在していると思われます。なぜなら、人間と畜生(動物・虫)、餓鬼は地上に存在しています。神々は地上50mくらいの高いとことから上に多くはいらっしゃるといいます(地上にテリトリーを築く神々もいらっしゃるようです。「ブッダ最後の旅」にはそういった描写があります)。

 

人間、畜生、餓鬼、神々は、リアルのこの地球に存在していますので、残すところの地獄も必然的に地球に存在すると考えるほうが妥当になってきます。そうして、地獄の世界の描写を読んでいますと、高温、高圧、冷感といった過酷過ぎる環境を考えますと地球の内部と考えるほうが適切な感じがします。

 

実際、漢訳阿含経の世紀経を見ますと、上記の推測が当たっている可能性があります。

 

この世界は、須弥山(しゅみせん)という山を頂点に作られていると原始仏教(お釈迦さま)は説かれます。

 

須弥山の頂上には神々の世界の三十三天という世界があり、地上には、人間・動物・餓鬼の世界、そして地下には地獄があるようです。

 

ちなみに地獄から須弥山の頂上までの距離は、24万由旬(ヨージャナ)あるといいます。
由旬(ヨージャナ)は、11.3kmから14.5km前後といいます。
ですので、地獄から須弥山の頂上までの距離は、271万2千km〜348万kmになります。

 

月までの距離38万kmです。ですので須弥山の頂上から地獄の底までの距離は、月までの距離の約7倍〜9倍になります。
ちなみに火星までの距離は、約7800万kmになります。
火星までの距離の、1/29〜1/22になります。

 

いずれにしても原始仏教で説く六道輪廻は、地球に限っていえば、目には見えませんが須弥山の頂上から地獄まで271万2千km〜348万kmの大きさから成る世界なのかもしれません。

 

漢訳経典・長阿含経「世記経」の世界観は、アビダンマッタサンガッハでも継承されています。特に切一切有部の論書の世界観は、世紀経の世界です。

続きを読む

2012/06/23


地獄の亡者は救うことができない〜聚楽主相応「西地人」

さて地獄の話しが続いていますが、地獄に墜ちた場合、いかなる方法をもってしても救済することはできないと、原始仏教では説かれています。といいますか、お釈迦さまがそうおっしゃっています。

 

相応部経典42−6「西地人」というお経を読みますと、それが明瞭に書いてあります。お経の内容をかいつまんで説明しますと、次のようなお話しです。

 

あるムラの村長が、お釈迦さまに訪ねます。

 

「お釈迦さま、西の地方から来たある霊能者は、死んだ者を成仏させて天界へ送り届けることができると言っていますが本当でしょうか。なんでも彼は、水瓶を持って、花環を備え、沐浴をして身を清めて、そうして火の神に祈って、亡くなった者を天界に送り届けて成仏させることができると言っています。」

 

するとお釈迦さまは、「人を殺し、物を盗み、嘘を言うなど、さんざん悪いことをした者に対して、大勢の人が集まって『どうかこの人が成仏して天界へ行きますように』とお祈りをし合掌しても、地獄へ行くのは明らかであり、救済することはできない」と言います。つまり地獄の亡者を誰かが救済することは不可能と言っておられるのです。

 

このことは、「石を詰めたツボを水中に鎮めたなら、どんなに祈祷しても合掌しても浮上しないのと同じ」としています。地獄へ墜ちた者は救済できないことを述べておられます。

 

地獄に墜ちると、自業自得で、業が尽きるまで何億年、年十億年も苦しみ続けなければならないようです。時々、死者を成仏させるとか言う霊能者がいますが、地獄に墜ちた者、動物となった者を天界へ往生させる(成仏させる)ことはできません。餓鬼の一部のみ、場合によっては天界へ転生することができるというものです。これが真実です。もしも、先祖で浮かばれていない人を全部、成仏させるとか言う人がいれば、嘘か妄想、空想になります。

 

なお「西地人」のお経から、地獄や動物、餓鬼に墜ちた者の全てを救済できないと読むこともできます。しかし、増支部経典・十集第十七「ジャーヌッソーニ経」には、人間が餓鬼へ供養できることが書いてあります。また後世のお経になりますが、餓鬼事経では、回向によって餓鬼道から転生できた餓鬼の話もいくつか載っています。

 

ですので餓鬼の場合は、回向によって救済されることもあると考えて良いのではないかと思います。しかし全ての餓鬼が救済できるとは限らないようです。餓鬼の中でも一部の餓鬼ということになります。

 

話しがそれましたが、地獄へ落ちた人は救済できないとするお経の紹介でした。
霊能者の発言の信憑性も確かめられる重要なお釈迦さまの説法でもあります。大変参考になります。

続きを読む

2012/06/25


地獄へ行かないための慚愧と五戒〜罪の帳消しはできない

地獄の話しは相当なショックを受ける話しであろうと思います。実際、テーラワーダの比丘の中にはあえて語らない・言及しない方もいらっしゃいます。理由はいくつかありますが、輪廻転生は通常、自分で確認できないからでしょう。それと衝撃が強すぎて、耐えられない人もいて、事実を告げることでかえって心が汚れる人も出てくるからだと思います。

 

しかし一方では、実の引き締まる思いをし、戒めとして克己心を強くする方も出てきます。地獄の話しを知ることで、身の引き締まる思いをし、気持ちを奮い起こす方のほうが多いと思います。

 

ですが、受け止め方は十人十色。こうしてブログの記事に書いて、人によっては受け入れがたい事実となる方も出て来ると推測もできるため「書くのはちょっとどうかな」と思うところがあります。文字だけの表現も難しいですね。全てを言い尽くすこともできません。たとえば「地獄の者を救済できない」と言っても、それは何も地獄に墜ちた者を突き放す意味ではありません。しかし読者の中にはそのように早計する方もいらっしゃるかもしれません。

 

パーリ仏典、あるいは漢訳の阿含経には、地獄へ行った人達の話がいくつか掲載されています。中には出家修行者が語る生々しい前世の悪業における地獄と輪廻転生の実話も載っています。これらはあまりにもショッキング過ぎますし、身に憶えのある方がお読みになると、その後の人生に絶望するのではないかと心配もします。だから、こういったリアル過ぎる話しはブログには書けません。あまりにもショックが強すぎると思うからです。

 

五戒や十善戒は常にに念頭に置いて心がけ、そうしながら併せて施(愛)の心を持つことです。両方が必要です。現代は、「戒」を疎かにしがちです。身を「戒める」ことを毛嫌いする傾向があります。ですがこれはよくありません。

 

しかし衝撃が強いのと誤解されそうなことから地獄の話しは今日で一旦、お終いにしますが、地獄に墜ちますと、業によっては再び地獄(小地獄)に転生します。たとえば無間地獄に墜ちて業が尽きたと思ったら、今度は隣接する小地獄へ転生することもあるようです。冗談ではなく、地獄巡りをするケースもあるようです。

 

しかも地獄の業が尽きて別の六道に転生できたとしても、その次が動物であったり餓鬼であったりすることも珍しくないようです。稀に人間に転生することもあるようですが、よほど善業を積んでいない限り人間への転生は難しく、地獄・畜生・餓鬼といった三悪趣を巡ることが多い印象です。

 

ですから、ホントに悪業は避けなければなりません。それと一般的に考えられていることとは違う「常識の嘘」があります。その一つが、「業の帳消し」という考え方です。

 

 

罪の帳消しはできない

 

悪いことをしても、良いことをすれば帳消しになる、と一般的には考えられていますが、こういった帳消しはありません。これも大変ショッキングな事実となる方もいるかもしれませんが、悪を帳消しすることはできないようです。何らかのかたちで業の報いを受けるようになるようです。

 

ですので、仏教では口を酸っぱくして「悪いことをしなさるな、悪いことしなさるな、戒を守ってください、戒を守ってください」と言うのですね・・・。何も悲観的、ペシミストだから、悪いことをするな・・と言っているではないということです。

 

あまりこういうことを言いますと、萎縮してしまうことも出てきますので言いにくいのですが、事実はこの通りとなります。

 

しかし決して悲観してはなりません。大事なことは善を重ねることです。悪が結生化しますと、地獄や畜生、餓鬼への転生となりますが、人間に転生できれば、人生上の中で悪の報いを受けることができます。最小限の形で悪の報いを回避することはできます。ですから、仮に悪行をしたとしても絶望しないで、それ以上の善行を行うことですね。実は、人間とは特殊な生命なのです。このことはまた近いうちにお話ししましょう。

 

原始仏典を読んでいますと、五戒や十善戒を破ることが常習化していますと、ほぼ確実に地獄へ行くと思われます。明らかに言動が悪すぎることを続けているのはもちろんですが、日々の生活で恨み言、批難する気持ちなどネガティブな気持ちにずーっととらわれることが多いと問題があるようです。
人間ですので過ちをしますが、過ちを犯した場合、また気付いた場合、早めに懺悔して軌道を修正するのがよさそうです。

 

 

気をつけたい無慚・無愧の煩悩〜慚(ヒリ)と愧(オタパ)の心を養う

 

ところで煩悩のうち無慚(むざん)・無愧(むき)というのがあります。よく「慚愧(ざんき)の念に堪えられない」といいますが、この慚愧の反対が無慚(むざん)・無愧(むき)です。無慚・無愧とは「恥知らず」「反省心が無い」のことをいいます。そして仏教では、無慚(むざん)・無愧(むき)は、全ての悪の根本的な原因ともみなしています。

 

「恥知らず」とは、実は「気付きの無い」状態です。気付きが無いから、恥知らずなことを平気でできてしまうのですね。最近は「KY(空気読めない)」という言葉もありますが、KYは無慚(むざん)・無愧(むき)の煩悩が原因です。恥知らずは、非常識、デリカシーが無い、鈍感でもあります。

 

ですので、反対に慚愧の心が必要になります。
戒を守るためには

 

慚(ざん)・・・悪を行うことの恥じらう心
愧(き)・・・・悪を行うことを怖れる心

 

の心が必要です。パーリ語で「慚」を「ヒリ」、「愧」を「オタパ」といいます。
つまり、悪行を「恥ずかしいこと」「恐ろしいこと」と感じる心です。
ヒリとオタパがあってこそ、初めて戒律を守ることができるのですね。

 

よく成功するためには「運・鈍・根」といいますが、気配りのできている鈍感は良いのですが、正真正銘の鈍感となりますと、罪作りになります。ここを勘違いして、鈍感になることが良いことだ、何でも気にしないのが良いことだとするのは危険です。「気付いていて鈍感になれる」というのが望ましくなります。

 

ちなみに「気付いていながら鈍感」とは「気付いていながらの冷静さ」という意味です。この状態こそ、「気付きの瞑想」です。

 

鈍感では心の成長もはかれません。気付きの瞑想が何故、必要なのかといいますと、鈍感さを無くすからですね。気付きの瞑想によって、様々なことを察知し、繊細なところまで気配りができ、TPOに適した行動もできるようになると思います。

 

無慚(むざん)・無愧(むき)の傾向が強い方は、知らず知らずのうちに悪を行ってしまうことが出てきますので、戒を意識して、しっかりと言動に注意していく必要があります。

 

地獄へ行くと非常に苦労します。苦労というレベルではなく、悲惨です。知らず知らずのうちに悪を行わないように、無慚・無愧を犯さないよう、気付きの力を高めて自己の心の動きを観察し、本当に注意したいものです。決して他人事ではなく、また自分を棚に上げる気持ちは毛頭ありませんが、本当に誰もが心の状態を常に観察しチェックし、健全性を保つ必要があると思います。そうしながら大きな愛の心を育んでいくことだと思います。どちらも大切なことです。

続きを読む

2012/06/26


天宮餓鬼という生命

さて今日は聞き慣れない生命、「天宮餓鬼(てんぐうがき)」についてお話します。

 

天宮餓鬼。
おそらく初めて聞く方が多いと思います。仏教を知っている方でも知らない人が多いと思います。
天宮餓鬼は、現代で善人と言われる人が行く可能性も高いと思われる世界です。天宮餓鬼は餓鬼の世界の一つです。餓鬼の世界なのですが、天界のような幸福を受けながら、反面、餓鬼道の苦しみを受けるという矛盾した世界です。

 

天宮餓鬼は、パーリ四部経典には出てきませんが、小部経典の餓鬼事経に出てきます。天宮餓鬼は、神のように神々しく見えます。住んでいるところも天宮のようであり(だから天宮餓鬼といいます)、黄金の建物に住み、綺麗な池があったり、従者を何人も従えていることもあるといいます。人間が天宮餓鬼を見れば、ほぼ全員が神と間違えるでしょう。それくらい見た目は神々しい存在です。

 

しかし、反面、夜になると餓鬼となって苦しみ、たとえば魔物に襲われるとか、体を食いちぎられる、極端な孤独に陥って寂しさが募るとかの苦痛を受けるようです。

 

ちなみに天宮餓鬼の世界に、人間が連れていかれて、その天宮で生活をするケースもあるようです。異郷訪問とその滞在記がいくつかあります。餓鬼事経を読んでいますと、浦島太郎や桃源郷の原型の話しも見られます。天宮餓鬼とコンタクトするケースは、現代でもあるかもしれません。

 

話しを戻しまして、天宮餓鬼になるのは、布施や善行をしながら、一方で五戒や十善戒を破ることをした人が陥りやすい世界のようです。

 

こういったのは最近、多いかもしれません。募金を募っておきながら、裏では利益を多く得ていたり、不正な使用をしていたり。また、せっかく善行しながら言動が悪いとか。最近は、偽善であっても「善行」とみなしてしまう風潮もあるようで気になります。

 

ボランティアや社会貢献は大変素晴らしいのですが、その反面、言動が大変悪いというケースも時々見聞します。惜しいと思います。といいますか貢献もさることながら、心を綺麗にすることも必要で、もっと大切であることだったりします。

 

布施は尊いです。人助け、社会貢献も大切です。ぜひとも積極的にやっていきたいことですし、より多くやったほうがいいと思います。ですが同時に、心を綺麗にすることももっと行うことですね。自分自身も反省する点もありますが、最近は方手落ちな印象です。また宗教団体でも教団の維持経営のために、お布施が中心となり、心を綺麗にする指導をしていないどころか、妄想的な教えを信者に教えて、お布施を募らせる指導をしている所もあります。

 

大変残念ですね。天宮餓鬼へ行く可能性が高いと思う所以です。
ですから、このブログでも開設当初から、心を綺麗にすることの大切さ、偽善行為についても言及してきました。

 

多くの方は、「良いことをすれば、悪い行為とチャラできる、相殺することができる」と信じています。しかし現実は違います。良いことは良いことして結果を生じます。悪いことは悪いこととして結果を生じさせます。たとえどんなに素晴らしい善行をしても、人を殺害する、窃盗をする、嘘を言う、不倫をするなどの悪行が続くと、死後、地獄へ行くとか、動物。虫、餓鬼あるいは天宮餓鬼に転生し、輪廻をさまようようです。

 

かなり怖い話しが続いていますが、仏教で口を酸っぱくして「悪いことをしないように・・・悪いことはしなさんな・・・」と何度も何度も言う理由はここにあります。。。善行も大切ですが、悪行を戒めることを無視していると確実に悪趣へ行ってしまいます。相殺ができないからです。。。

 

しかしこう言われると、はじめて聞く人は気分が悪くなるでしょう。抑圧的に受け止められることも多くなるでしょう。戒行は工夫して取り組む必要があるのですが、字面だけ額面通りに受け止められて、抑圧的になりがちです。戒を実践するコツは普段からリラックスすることだと思っています。落ち着くことですね。そうすれば自然と戒が守られることが多くなる感じです。

 

善行と悪行は相殺できません。善行で悪行を打ち消すことはできません。引き算して消すことはできません。ですので、善行と悪行を両方行うと、天宮餓鬼へ行くことのほか、先に悪行が結果を生じたり、善行と悪行が入り交じった人生になったりして、人それぞれのようです。

 

天宮餓鬼は、天界と同じような恵まれた状態の反面、苦悩がつきまとう餓鬼の世界です。苦しみ、悩み、不安、妄想に捕らわれる側面のある苦しい世界です。

 

ですので、ぜきるだけ善行を重ね、悪行をしないようにしたいですね。現代ではなかなか難しいのですが、心を強くして実践してまいりたいものです。そのためにも瞑想ですね。四念処を実践し、自分の心を観察しましょう。そうして良い状態を保てるように精進することです。お釈迦さまはその方法を示し残されています。実践してまいりましょう。

続きを読む

2012/06/27


地獄絵本〜恵心僧都の往生要集

今、地獄絵本が流行っているそうですね。
知りませんでした。

 

 

白仁成昭さんの手による「絵本・地獄」といいます。
アマゾンでのレビューも興味深いです。

 

わが子もちょうど嘘つきになり手を焼いたころに購入して読ませました。
子供が嘘をつきだす小学2、3年生ごろが最も適しているかと思います。
もう、親の目も届かず、説教も届きません。
しかし血を流す罪人を見てショックを受ける感受性はまだ豊かに持っています。
効果はてき面すぎるほどで、泣きそうな顔をして、それでも目を離すこともできず、食い入るように
見入っていました。遊びに来た友達にまで見せていました。友達も「私、もう他の子をいじめるのやめる」と言っていました。

 

なるほど。このレビューを読み、思わずうなってしまいました。
いえいえ地獄の話しは大人も効果があります。
子どもだけではありません。大人も悪行為への抑止効果がありますね。

 

 

恵心僧都の「往生要集」の地獄

 

esin.jpgこの絵本の元となっているのは、平安時代に浄土教の布教に活躍した恵心僧都の「往生要集(おうじょう-ようしゅう)」です。

 

往生要集とは文字通り、極楽に往生するための要点集、現代風にいえば、「極楽への行き方マニュアル」です。

 

宗教を含めて精神世界というのは、今も昔も変わりません。
名称やパッケージ、表現が異なるだけで、本質は同じです。

 

恵心僧都の「往生要集」は、「どうすれば極楽の世界に行けるか」というノウハウが書かれています。ノウハウといっても、これは浄土の教えの中での方法論でして、果たして往生要集に書いて有るとおりを実践して、極楽に行けるかどうかはわかりません(無理でしょう)。

 

しかし往生要集に書いていることは、善行も含まれていますので、中庸の心で実践すれば、天界へ往生することはできるかもしれませんね。

 

往生要集は、仏教の論書である「アビダルマ」を元にして書かれています。
往生要集では、極楽の前にまず地獄を説きます。
その地獄の有様が、アビダルマに記載されている世界で、原始仏教にもほぼ同様の記述があります

 

ですので、恵心僧都の「往生要集」は、ほぼ正確に地獄の世界を描写しています。

 

地獄はリアルに存在します。本当にあります。
悪行為を行えば、重なれば、必ず地獄へ行くでしょう。
ですので、悪行為をしないようにしないといけません。

 

脅しになってはいけませんが、訓戒として気をつけた方がいいでしょう。

 

もっともこの「絵本・地獄」は、いじめっ子や、ウソをつく子ども、やんちゃな子どもには効果がてきめんだと思いますね。

 

 

西川隆範の「絵本 極楽」

 

地獄の話しは、ナイーブで優しい性格のお子さんが聞くと、ショックが強すぎて悪い意味でトラウマになってしまうかもしれません。性質の良いお子さんは、西川 隆範さんの「絵本 極楽」がいいと思います。

 

 

おとなしい子や、性質の良い子は、天界の話しを知って、よい行いをますます盛んにするようにしたほうがいいですね。

 

悪いことをダメと叱って教育する方法と、良いところを伸ばして褒める教育。どちらも必要です。最近は子どもを叱らないシツケが流行っているようなのですが、子どもによりけりです。自分の子どもは叱るタイプなのか、褒めるタイプなのか、見極めることですね。

 

ちなみに極楽絵本の著者の西川 隆範さんはシュタイナーの関連書も翻訳していますね。シュタイナーも優れた良い智恵や教えを残しています。シュタイナーは天界から来た方もしれません。

 

それはさておき、地獄は空想の世界ではありません。
本当に実在するリアルな世界です。

 

この正反対が天界です。
天界もリアルに存在します

 

人間だけが善悪の行為のどちらもダイナミックにできます。
ですので、できるだけ善行為を心がけたいものです。

続きを読む

2012/07/08