日本人が仏教を学ぶ時の注意点

日本人が仏教を学ぶ時の注意点

前回の『仏教はインドで誕生したということ』記事の中で、日本人が仏教を学ぶ時に

1.お釈迦さまは、相手に応じて法(ダンマ)を説いたということ(対機説法・随機説法)
2.お経は、こういうお釈迦さまの言行を整理したもの
3.インド人の精神性や道徳観を知っておくこと

という3つのポイントを踏まえて学習する必用があることを書きました。今回はこの続きの話しになります。

戒律を理解する上で必用なこと

仏教では戒律を最初に説きます。といいますか、戒律ができていないと仏道修行は進まないとさえ言われています。

しかし戒律を守る際、日本人の場合は、厳格になりすぎる傾向が出てきてしまいます。実際の見地からいえば、戒律は厳格・厳密にやってはなりません。

こういう厳しすぎるやり方ではなく、もっと心身をゆるめてリラックスすることが大事になってきます。

インド人は、ルーズで、怠慢でだらしなく、時間も約束も守らない傾向があるといいます。こういう人達に向けて説かれたのが「五戒」でもあるということですね。

ちょっと悪口に聞こえるかもしれませんが、こういうことを踏まえないと、仏教などの宗教は、正しく理解できないと思います。

仏教での「出家の戒律」は227あります。しかしこれらの戒律は当時「随犯随制」といって、何か悪いことをしたら、その都度、戒律を作っていったものでした。

戒律を見ると、どうでも良いようなことが、細々と記載もされています。しかも整理されて理屈っぽくも書かれています。

こういった戒律を受け止める際、まずこれは「インド人が編纂した」ということを押さえないとなりません。インド人は理屈っぽいわけです。物事を哲学的かつ精密に整理する特徴もあります。

ですので戒律もそのように編纂されていきます。これを額面通りに受け止めると、窮屈になっていくわけですね。

ですから戒律は、その本質を押さえて理解することが大事になってきます。

五戒を肯定的・プラス的な解釈する

このことは在家の戒律である「五戒」でもそうです。文言にとらわれたり、教条主義的になってはなりません。

また道徳心が欠如しがちなインド人社会の中で誕生したということを忘れてはならないと思います。まして「在家」です。

五戒は「○○してはなりません」といった禁止の表記がされています。これは、インド人には、これくらい手厳しく抑え込むように言わないと、なかなか守らないということもあったのではないかと思います。

放っておけば、トンデモナイことをするインド人なのでしょう。だから、厳しく抑え込む必用もあったのではないかと思います。ですので五戒では

・殺すな
・盗むな
・嘘付くな
・不倫するな
・酒飲むな

というように全て禁止する言い方になったのではないかと思います。

日本人の場合は、多くは善性です。とても優しく、協調性があって、温厚な性格です。

タイやミャンマーといった東南アジアの人々とも共通する温厚な性格を持った国民性でもあります。

こういった温厚な国では、インド人向けの言い方や表現よりも、もっとソフトで肯定的な表記が良いとも思います。そうしなければ「抑圧」になったり「萎縮」も起きてくる心配もあります。といいますか、実際に起きています。

ですので以前も書きましたが、五戒も

・命を大切にしましょう
・与えられたものだけを使い・必用なもので満足しましょう
・本当のことを言いましょう
・倫理道徳に根ざした恋愛をしましょう
・正常ま判断力を保つようにしましょう

このように肯定的な表記にしたほうが、実は日本人にはスっと受け入れやすくなると思います。

仏教を日本人向けに理解し直すことが大切

日本人は、頭がよく、モラルも発達し、調和のある国民性です。それと、日本人の場合は、インド人のずぼらさやルーズさ、怠慢さとは違って、むしろ

・一生懸命になりやすい
・頑張りすぎ
・自己犠牲をする

といった傾向がありますので、戒律はあまり厳しい形はよくありません。戒律だけでなく、仏道修行もそうです。

禅宗では、手厳しい修行をしたりすることもありますが、こういうやり方は、実は日本人の多くには合っていません。といいますか、修行が進まなくなることも多々起きます。

日本人の場合は、緊張しやすく完全主義になりやすいので、心も身体もゆるめる方向で進めるのが望ましくなります。

ですので戒律も、もっとゆったりとして、リラックスするくらいがちょうどよくなります。

昨年の東日本大地震の際、大被害にあった日本人ですが、暴動が起きることはなく、悲しみをこらえて、協力しあい整然となすべきことを行いました。

この姿は、全世界にも報道され、この姿を見た世界中の人々は一様に驚嘆したといいます。「信じられない!」「なんという高貴な民族なんだ!」「この状況で協力しあっている!」

壊滅的な大災害に遭遇しても、高い道徳心を失わないどころか、むしろ助け合い支え合う日本人の姿が信じられないくらい驚異的だったといいます。

日本人とは、高い道徳意識や規範意識を持った国民です。こういう国において、インド人向けの宗教を取り入れる際、注意が必要です。

日本人とは、正反対の性質を持った民族の宗教ですので、導入する際、注意を要します。もっとソフトなかたちで解釈し、取り入れる必用があると思います。

仏教は、道徳を守らない、屁理屈好き、個人主義といった、日本人と真逆の性質を持ったインドで誕生し、歪められて変遷し滅んでいいった宗教ということです。

そうしてお経はこういうインド人向けに行われたものをエッセンスとして整理されたということです。

さらに、歪められた仏教をそのまま中国経由で日本にも輸入されたということです。

釈迦族はミャンマー人(モンゴリアン)に近かったという説

経典を読んでいますと、お釈迦さまもゆったりとされた方であることが分かります。日本人やタイ、ミャンマーといった国々の人々に近い印象すらあります。

実際、お釈迦さまはモンゴリアンであり、ミャンマー人であったとする説もあるくらいです。釈迦族がモンゴリアンであったということは、昔から指摘もされていて、中村元氏、渡辺照宏氏、岩本裕氏らも述べています。

経典を読んでいますと、確かに、インド・アーリア人というよりも、ミャンマーやチベットのような蒙古人系を彷彿とさせます。

ですので、お釈迦さま(釈迦族)は、日本人やミャンマー人、チベット人といった蒙古系人種だったのかもしれません。

事実、インドでは仏教ではめまぐるしく変遷し、最後は滅んでしまったものの、タイやミャンマーでは伝統を重んじて固く守られて、現在も伝承されて残っています。

しかもこれらの国々では盛んに信仰され修行され、国教にもなっています。

もしかすると仏教は、モンゴリアン的な感性から誕生したのかもしれません。お釈迦さまの釈迦族はミャンマー人に近かったというのは、なんとなく説得力を感じさせます。