論事~禅定体験による見解

「論事」という書は、仏教の見解を統一化させるために、お釈迦さまが亡くなってから約200年後に記された議事録のようなものです。

しかし論事は、思惟や論理によって導かれた思想を検証したものではなく、瞑想体験から得られた見解についての是々非々であろうと考えられます。

なぜなら、論事には、禅定に関する記述もあるからです。
たとえば次のような項目です。

・超越禅あり。
・中間禅あり。
・神通力を持った者は一劫の間存在する。
・禅定は過去未来を有する。
・死から生に移る「中間的な存在」がある。
・地獄には獄卒(亡者を責める者)はいない。
・天界に動物がいる。

このように、禅定に関する言及、また地獄や天界に関する項目があります。
これらは部派仏教でも瞑想が盛んで、それに通達した方々も多かったことを彷彿とさせます。ちなみに人間界以外の世界を見聞するには、神通力が必要です。神通力が得られるためには、禅定は必要になります。

それから超越禅とか中間禅がどういうものか分かりませんが、禅に関する専門的な見解が出ているところから見れば、当時、熱心に禅定を得る瞑想をしていたことが分かります。当時も、お釈迦さまの時代と同じように修行していたことが想像できます。

論事は、禅定体験に基づく見解を是々非々した議事録だと考えます。

論事に記された事項は、すべて「誤り」として退けられました。
あるいは「正当とはみなせない」といったところでしょう。

しかし、ここで紹介したのは極一部です。他にもまだまだあります。しかも難解です。

摩訶不思議な内容の論事ですが、結局、論事で誤りとされたものを整理しますと

1.事実と異なる、錯誤・誤解による見解
2.事実に基づいても「解釈を誤った見解」
3.事実に基づき解釈も正しくても、伝統的な仏教の立場から「認めることができない見解」

この3つになると思われます。
しかし、ほとんどが禅定体験から得られた見解でしょう。もちろん、考えたり推論した見解もあるかもしれませんが、仏教修行を踏まえると、考えたことや推論よりも、瞑想体験から得られる見解であろうと思われます。

ですが、どれが「誤り」で、「解釈を誤った」もので、どれが「事実だけれども排除された見解」なのか、凡人には分かりません。

けれども、その後の歴史において、頑なに信じられたり、広まっていったものは、もしかすると「本当のこと」かもしれません。

論事には、当時は排除された見解の中に、もしかすると「正しい(事実である)」とできる見解もありそうです。

そう思わせる項目があります。しかも論事に書かれていることで、もっとも驚く事項です。
それは・・・

続きは、次の記事で書きます。