部派仏教 上座部と大衆部の再考

部派仏教では、上座部と大衆部に二分されていたことは、こちらの記事で説明した通りです。

上座部は、禅定力を通して存在の原理を追及し、微細な世界の探求し、これらを言語化・観念化に努めたと思います。分析的・哲学的なアプローチです。もっとも分析的なアプローチは、お釈迦さまが生きておられた時代から、実は推奨され、熱心に行われていました。いわば「正統的なアプローチ」になります。

また禅定力に基づく観察瞑想を行い、森羅万象が四元素から成るカラーパで構成され、それが大変なスピードで「生じては滅し、生じては滅し・・・」といった無常を観察していきます。禅定力とヴィパッサナ瞑想により、無常を体験して悟ることは仏教の修行そのものです。

この伝統的な瞑想から得られたことを、分析し哲学的にまとめようとしたのでしょう。

ただし分析や哲学的な体系をやりすぎてしまった感があります。そのため浮き世離れし過ぎてしまい、思想体系の構築が目的となってしまった感もあるほどです。

これに対して大衆部の中には、宇宙の存在や他の世界、異郷への探索といった「外側」への探求も出てきたのではないでしょうか。

分かりやすくいいますと

◎上座部
禅定力によって、心や存在原理を探求する「哲学的仏教」 ⇒ 伝統的なアプローチの精鋭化

◎大衆部
禅定力によって、宇宙や異世界をも探求する「スピリチュアル仏教」 ⇒ お釈迦様が説かなかったことへの言及

こういった特徴があったのではないかと想像します。

両者は、どちらも伝統的なアプローチを取りながらも、大衆部は、お釈迦さまが説かなかった真実を「発見」し、それを言い出したのではないでしょうか。

ところが、伝統的な上座部は、それを認めることはできなかったのかもしれません。

理由は、お釈迦さまへの尊崇から伝統を保つことを重視したことと、仏教の混乱を引き起こす可能性が高いと判断したからでしょう。上座部の判断は、仏教史を見れば正しかったことが分かります。

けれども大衆部は、これに納得できず、やがて別の道を歩むようになり、初期大乗へとつながっていったのではないかと。

上座部のほうは部派の大勢でもあり、またインド人の哲学好きな気質から、ますます哲学的なアプローチを深め、やがて精密な仏教哲学書も出すようになりました。

ようやく結論まで来ましたが(こちらより)、仏教の変容の根底には、禅定力があるというのは、こういったことが理由です。元々、禅定力は、「生じては滅する」という無常を悟るために使われていました。

この能力が、一方では、存在原理の探索にまで使われ、アビダルマへと変容していきます。一方では、他の宇宙の仏陀をキャッチし、初期大乗の萌芽へと変容していきます。

仏教の歴史において、こういったことが起きていたのではないかと推察します。