業(カルマ)の現れ方~業は7つに分裂して7つの生涯に表れる

業(カルマ)の現れ方

さて今回は前回の続きです。輪廻転生に関する知られざる重大な秘密です。

初めて知ることになる人がほとんどでしょう。仏教を知っている人でも知らない人が多い業報に関する仕組みです。

仏教では輪廻転生を瞑想の禅定力で詳しく調べたのでしょう、後世のアビダルマ仏教では、業について大変詳しく調査し分析もしています。

その中でも重要なのが「業(カルマ)は7つに分割される(七倍になる)」という発見です。あるいは、一つの行為は7回の生涯にわたって報いが訪れるということです。

「なに?」って思うでしょう。
今日は「業(カルマ)の現れ方」についてのお話しです。

業(カルマ)はどのようにして作られるのか?

原始仏教の次に出てきたアビダルマ仏教では、業について精密に分析し調査していきました。

そもそも原始仏教では「心が業を作る」としています。で、心は17サイクルで変化しているといいます。で、

  • 心は一刹那(いちせつな)に一つ生まれる。
  • 一刹那とは1/75秒。
  • ちなみに指をパチンと弾いた時間が65刹那。
  • 心は17刹那(17ステップ)サイクルで1セットになっている。
  • 心が生滅する17刹那の間に「業は7つ」生じる。
  • 感情をともなった「7つの心」が「7つの業」を生み出す。

これが原始仏教が解明した心と業の仕組みです。

もう少し詳しくいえば、17刹那の間に、感情をともなった心が7回生まれます。で、この心を「速行心(そくぎょうしん)」といいます。速行心が7回生じて、7つの業になるということですね。そういうことになります。

業は7つに分裂して7つの生涯に表れる

で、さらに驚くのは、一つの心から生まれた7つの業は、

  1. 現世で受ける業・・・弱い
  2. 2番目の来世で受ける業・・・少し強い
  3. 3番目の来世で受ける業・・・大変強い
  4. 4番目の来世で受ける業・・・大変強い
  5. 5番目の来世で受ける業・・・大変強い
  6. 6番目の来世で受ける業・・・弱い
  7. 次の来世で受ける業・・・微弱

というように「7つの生涯」に引き継がれていくようになるといいます。驚きですね。これを図で表示すると、このようになります。

このように、業は7つに分かれて、7つの生涯に引き継がれるということです。

現世 ⇒ 来世 ⇒ 2番目の来世 ⇒ 3番目の来世 ⇒ 4番目の来世 ⇒ 5番目の来世 ⇒ 6番目の来世

業は7つに分裂(7倍になる)ともいえますね。

現世を含めて6度の転生にわたって、つまり7つの生涯にわたって結果が出てくるようになるというのは、もしも善い行為をすれば、少なくとも「7倍」になります。これはすごいことです^^

来世の業は微弱

ところで「次の来世」に引き継がれる業は「微弱」というのは驚きですね。仏典には「次の来世に引き継ぐ業は消えてしまうこともある」とあります。来世に引き継がれる業は、なくなってしまうこともあると。

意外や意外。現世の行為は、直近の次の来世にはほとんど影響を及ぼさないと。逆にいえば現世の善行によって、来世が天界であるならば、ものすいごい善業を為したことになります。

それ故に、仏典では現世の善行によって来世に天界へ行った人の話しがことさら取り上げられているんだと思います。それにしても知られざる業のメカニズムといったところです。

時々「あの世」を見聞できる霊能者の中には、「現世でメチャ悪いことをしても、死後、なーにも関係ない。だから善いことをしたって関係ない」という人がいます。

実際、現世において非常に悪いことをしても、上手く逃げてしまったり逮捕されなかったりして報いを受けない人も出てきます。

が、業報の理論からいえば、そういうことも起き得るわけですね。こうした現象は原始仏教が伝える業報で説明がつきます。

けれども来世のどこかで必ず報いを受けるということなんでしょうね。

現世において良いことをしても、それが強く出てくるのは2番目の来世以降ということ。「来世」に出てくる業は「微弱」。「消えてしまうこともある」と。

ですので現世において大変悪いことをしても、来世には、その報いが出てこない場合もあるってこと。しかし2番目以降の来世で、強い形となって表れて、報いといいますかブーメンとして返ってくるということなんでしょうね。

業は3・4・5番目の来世で強く出る

業は、次の来世では微弱に出るようですが、3番目、4番目、5番目の生涯において大変強く出てくるようです。

これまた驚きですね。
で、善いことをすれば、それだけ強く出てきますので、現世のこの生涯において善行をすれば、来世は途方もなくラッキーになりますね。

業は、悪いことだけでなく、良いことに対しても、この法則通りに結果を招来します。

悪事は形となって出やすい

また一般的に「悪」は速やかに結晶化していくようです。その事実はパーリ経典を読んでいくと散見されます。

パーリ経典のダンマパダには「悪は凝固しやすいが、善は固まりにくい」という記述があります。悪のほうが結果が出やすいようです。

こういったことと関係しているのかどうか分かりませんが、仏教でも懺悔や反省を奨めています。

実は、懺悔・反省して、その時点で罪を認めて受け入れることをすれば、業の結果を先送りにしないで、現世において早めに精算させることができるようです。

業を消す「既有業」

また既有業(きうごう)といって、
・ほどこし
・礼節
・瞑想
の3つの善行は、過去の悪い業を抑え込む力のあるパワフルな善行といいます。

さらに
・慈悲
もパワフルな善行になります。

ですので業報云々を抜きにしても、善行為を基本としていれば、ほぼほぼ人生は心配が要らなくなりますので、善行為を基本とする生き方がオススメになりますね。

もし仮にマズいことをして後悔していることがありならば、7回の生涯にわたって苦悩を招くよりも、この現世で精算してしまうやり方がおすすめですね。微弱でるならば軽減することもできるんじゃないかと思います。

このように原始仏典やアビダルマでは、業を精密に調査し分析しています。大変有益な情報になるんじゃないかと思います。

優れた文献には一目置くのが望ましい

「業報は無い」といった勘違いをするのは、2800年前の昔からあったわけですね。ブッダ在世の当時の「六師外道」がそうだったりします。似たようなことを言っていました。今も昔も変わりがありませんね。

で、こうした勘違いに陥らないのが仏教にすごいところでして、価値ある文献がもたらす情報には一目を置いたほうがいいということになります。

実際に自分で見聞する体験も大切です。もちろんこうした文献が100%正しく伝承されているとは限りませんが、それでも原始仏典やアビダルマのように天才達が伝承した文献に一目を置いて検証することは欠かせないと思います。

鋭敏な感性と洞察力は欠かせない~智慧の大切さ

スピリチュアルの世界においては、こうした冷静に検証する姿勢や、鋭敏な感性、洞察する智慧は欠かせないと思います。知的にもしっかりと向き合うことは大切ですね。

そもそも心を見つめる「自己観察」においては、智慧が欠かせません。智慧があってこそ、適切な洞察もでてくると思います。