業の考察

このように業は、7度の転生(生涯)にわたって影響(結果)をもたらすといいます。怖いと感じるかもしれませんよね。

ですので、お釈迦さまは「五戒を守りましょう」とおっしゃるわけです。五戒または十善戒を守っていれば、基本的に大変な不幸に遭うことはありません。

良いことを行う(良い心でいる)ことも大切ですが、悪いこと(悪い心でいる)をしないように奨めるのも、業のこういった7分裂(7倍)になる性質を知っていると、腑に落ちるはずです。何故、仏教は「悪いことするな、悪いことするな」と口酸っぱく言うかといえば、業の性質を見切っているからなのでしょう。

業は、原則的に帳消しになりません。

悪いことをしても、良いことをすれば帳消しになる、と思われる向きもあります。しかし実際には帳消しにはなるとは限らないようです。

悪いことは悪いことで報いと出て、良いことは良いこととして報いとなって出てくると、仏教では説きます。このこともショッキングかもしれません。

ですが現実的なことをいえば、代替として善行をすることは良いことです。これもまた機会があれば説明したいと思います。

時々、宗教や、オカルト的な思想の中に、先祖からの因縁や前世からの因縁を切ることができると説くところがありますが、原則的にこれは不可能です。少なくとも仏教では、このようなことは言いません。なぜなら、業の性質上、これはできないからです。原則的には。

業の話しは怖いところがあります。

この恐怖心や不安感を逆手にとって利用し、積徳だ、先祖の霊を成仏させるといって、多額の金銭を求めるところもあります。おかしげな新興宗教や思想にかぶれて妄想を強くし、変な業を作らないように注意しなくてはなりません。

業は、このように7倍になるといっても、良いこと(心)も7倍(7分割)されて結果をもたらします。人に施しをしたり、丁寧な言葉を心がけたり、良い心でいますと、それが最低でも7倍(7分割)され良い結果をもたらします。

ですのでお釈迦さまは「施(ほどこし)をしましょう」とも言われるわけですね。施しをすれば豊かさとなって返ってきます。最低でも7倍です。

ただし、施しも、清らかな心で行ったほうがいいのです。この理屈は、もうお分かりですよね。

そうして施しは、清らかな心で、できるだけ清らかな対象に行えば行うほど、その結果は大きくなると、経典には書いてあります。何百倍、何千倍となって戻ってくるとあります。

もっとも、こういう見返りを求めて何かをする、というのもさもしいです。善行をするときは、見返りを求めないで、考えないで行うのが理想的になります。

このことは心も同じです。清らかで落ち着いた心でいるなら、その心は何百倍、何千倍となって返ってくる、つまり来世では、穏やかで楽しい日々を過ごすことができるようになる、ということです。

原始仏教(アビダルマ仏教)では、業をこのように分析しています。悪いことも、良いことも、最低、7倍となって戻ってきます。自分自身が清らかであればあるほど、また施しをする相手や関わる相手が、清らかであればあるほど、結果がよくなるということですね。

原始仏教(アビダルマ仏教)における業報の考え方とは、このようになります。

業への考察が深まりますと、心をよくし、言葉を丁寧にし、行動も上品に、そして落ち着いた生活を心がけるようになります。必然的にそうなっていくでしょう。だから仏教では業の真実を語るのでしょう。

メディアが垂れ流す情報や流行に乗じて、洗脳されて、心を汚し、言葉を乱暴に使い、行動も粗野で、落ち着きを失い、道徳を破壊するような生活にならないように注意しましょう。こういった生活を続けていれば100%、悪業となっていきます。

話しはまだまだ続きます。