さて、「論事(ろんじ)」です。
論事は、お釈迦さまが亡くなって200年くらい経ってから作られたことは前のブログに書いた通りです。第三結集という、全インドの長老が集まり、各部派の考え方を検証し整備した議事録です。論事に列挙されている項目は、「誤った見解」として記録されています。
つまり、論事は「当時の誤った(誤っていると判断された)仏教の見解集」ということになります。
しかしこの論事、大変難しい内容です。
理解できない内容も多い書です。
ですが凡人でも理解できそうなものもあります。
たとえば、次のような見解です。
・仏陀に智慧が無い者がいる。
・一切の業は決定している。
・生まれながらの仏陀がいる。
・母胎にいる間に仏陀となる者がいる。
・仏陀の排泄物は、他の香りに優る。(2)
こういったのがあります。これらは、凡人でも「なんとなく間違っていそうだ」というのが分かります。しかし「仏陀の排泄物は、他の香りに優る」という見解が、なんと2つの部派仏教で信じられていたといいます。
「2つの部派で?ん?」と素朴に思ってしまいます。単なる錯誤ではなく、「もっと他に何か、そう理解する理由があるのではないか?」と思ったりもします。
さらに見てまいりましょう。
・仏陀は、人間界にいると言ってはならない。
・仏陀によって、ダンマが説かれたとは言ってはならない。
!?
どういう状況を前提に言っているのかが分からないのですが、どうして、こういうような見解が出てくるのでしょうか?
もっと見ていきます。
・正語、正業、正命は色(物質)である。(3)
なんと八正道における、「正しい言葉」「正しい行い」「正しい生活」が「物質」であるとみなす見解です。しかも、三つの部派が、このように述べています。
「なんだこれは・・・?」と思います。
「物質???」。
理解に苦しみます。
注目する点は内容もさることながら、「部派」という共同体の中で、共有されていた見解ということです。しかもそれが、情報交換の少なかった当時、三つの部派で同じように認識されていたとう事実です。
何故、こういう不思議な見解が出てきたのでしょうか。