仏教はお釈迦さまが説いたものとは限らない

仏教は、お釈迦さまが説いた教えとダンマですね。
ですが、お弟子さんらも同じようにブッダになっています。

一番最初にお釈迦さまがブッダになられて、その次に、アンニャー・コンダンニャが悟ってブッダとなり、この輪が広がっていきます。ブッダとなった方を阿羅漢(あらかん)ともいいますね。

意外と知られていないことですが、当時、仏教と二分する宗教にジャイナ教がありましたが、ジャイナ教では、仏教を説く者をお釈迦さまとはしていなかったという歴史的事実です。

ジャイナ教では、「仏教を説く者」を、なんとお弟子さんの「サーリプッタ」と認識していました。
驚きませんか?

一般的に仏教は「ゴータマシッダルータ」が開祖とされていますが、当時は、そうとは限らず、弟子達が開祖といいますか、代表者として認識されていた形跡もあるのです。

当時、仏教は、お釈迦さまが説く教えというだけでなく、そのお弟子さんらが説いていた教えとして、各地で認識されていた可能性があります。

サーリプッタが「仏教を説く者」と認識されていたことは、ジャイナ教の聖典にたまたま記述が残っていたから分かっていることです。

ブッダの教えとはお釈迦さまに限定されず、ブッダとなったお弟子さんらが説くこともまた「仏教」だったわけですね。

実際、お釈迦さまに会わずに、お弟子さんらの導きによって悟った方もいらっしゃったほどです。

またパーリ経典にも、お釈迦さまのお弟子さんが説いた内容もしっかりと残っています。特にサーリプッタという方は、大変、頭脳明晰で、仏教を緻密に分析し概念化することにも成功しています。またアビダルマ仏教の先駆けはサーリプッタでした。

弟子のほうが活躍といいますか、目立っている宗教は、世界中の宗教を見ても特異な点だと思います。宗教とは、大抵、教祖・提唱者がいて、その人の言行録となっています。

しかし仏教は、お釈迦さまを中心に、同じようにブッダとなったお弟子さんらの言行も含まれているということですね。全てブッダの教えとして掲載されています。

言い換えますと、仏教とは、大勢のブッダによって検証され確認された教えと実践方法ということができると思います。

仏教のこういった側面を見ていきますと、極めて客観性の高い宗教と言えるのではないかと思います。

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