仏教は哲学にあらず~全て確認されたもの

業について連続して書いていますが、記事は既に下書きしてあります。毎日投稿する記事は、今のところ18日分はあります。思いついたときに一気に書き留めています。ですが一度に投稿しますと、読者も大変かと思いますので、これでも小出しにして投稿しています。

ここ数日の輪廻や業に関する仏教的な見解は、ショックに感じる方もいらっしゃるかもしれません。最近は精神世界の著作物も多いですので、様々な情報を得ている方もいらっしゃると思います。ですが仏教的な業の解釈は、おそらく初めて見聞される方が多いと思います。

もちろん仏教的な業を、信じる・信じないはご自由ですね。ただし、人の輪廻転生を無限に近いパターンを読み切ったお釈迦さまと、同じように読み切ったお弟子さんらによって検証され確認された内容ということになります。

仏教を「哲学」ととらえる向きもあります。特に学究的に研究する学者や専門家に多い傾向です。しかし仏教は、知的作業によって概念化された哲学ではありません。全て「体験に基づいた」ものです。体験に基づいて確認し、検証したことを文字や概念で著しています。これが仏教です。また哲学と根本的に異なる点です。知的に何かを概念化して思想にした教えでは無いとうことです。

ですので仏教には「~と思う」とか「~と考える」「~と結論付けられる」という「推測」の表現や「論理」「理屈」による見解はありません。全て「断定」です。結論が先にあって、それを言語化している形です。また「私は見た」という確信です。全て観て確かめられた内容のようです。

輪廻にしても業にしても、瞑想による心眼で全て確認されています。仏教とは、そういう世界になります。

そしてさらに大事なことは、お釈迦さまのお弟子さんらの多くも、同じように追体験し、確かめているということですね。そうして導かれ、整理されたのが「お経」という伝書になるわけです。

このお経ですら「鵜呑みにしてはならない(自分で確認してください)」とまでおっしゃっていますので、仏教の「体験主義」は徹底しています。

もっともお経の中には誤謬(ごびゅう)も含まれています。明らかに意図的に書き加えられたであろうと思われる箇所もあるのは事実です。

ですが、基本的に経典に書いていることは、お釈迦さまとお弟子さんらの体験に基づく内容と受け止める方が正しいような気がします。

話しが脱線しましたが、今まで記事を投稿してきて、このブログを読まれている方の中に、それまでの常識や概念をひっくり返されたような感じを受け、戸惑いを覚えているかもしれず、老婆心ながらこの文章をしたためてみました。

信じる・信じないは自由です。私も体験して検証したわけではありません。原始仏教では、このように言われている、という世界をご紹介し、あわせて私個人の見解も書いています。

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