善悪の基準

こちらからの続きです。

善いことだからといっても、その様子を見て「何か変だなあ」と、本能的に違和感をおぼえるものがあるでしょう。たとえば募金活動で善いことをしていながら、その反面、詐欺紛いなことをしているケースです。「おかしいぞ」と違和感が出てきます。

仏教の善悪論で判断すれば、スッキリと善悪を解明できます。

善いことへの結果や量、外見や形ではなく、動機や心の有様(質)が良いか悪いか、です。

一般的には、結果や量、外見や形で善い悪いと判断されがちです。ですが仏教では心の有様を重視し、量よりも質を重んじます。

良い心の有様とは、心が清まっていることです。怒りや貪りが少なく、落ち着いてリラックスし、朗らかで、言葉も対応も丁寧な姿勢でしょう。

反対に、心が汚れているのは悪い心です。怒りや攻撃性に満ち、本心では野心があり、言葉も粗暴で、態度もぞんざいで、落ち着きが無く、騒がしい状態です。

もちろん、人間ですので、100%、心を清らかにすることは難しいでしょう。
また、動機が大事だからといって、量が全く関係が無いと言うことはありません。
量も大切でしょうが、それ以上に質(動機・心の有様)が大切だということです。

ですので、大規模な社会貢献をするよりも、小さくても身の回りで心を込めた親切のほうが、実は大きな結果を招きます。量ではありません。質(動機・心の有様)のほうが何百倍、何千倍も尊くなります。

もちろん、量も多く、動機も優れているのは理想的です。
しかし現実は、規模が大きくなれば矛盾や問題も出てきて、トラブルが出てくることが多いものです。ですので、現実的な観点からいえば「自分ができる範囲以内で行う」ことがお勧めになります。

原始仏教は大きな教団化をしないのも、おそらくこういった点と関係があると推測できます。

こういったことを示唆する教えは中部経典「施分別経」などに詳しく載っています。
仏教の善悪論は善悪の本質に迫ります。

仏教の善悪基準の物差しがあれば、真に正しい行為の判断・チェックができるようにはなると思います。
そしてこの考えが腑に落ちますと、価値観や人生観、世界観も一変します。
つづく