業ではなく明確な因果関係が多い

(つづき)
業への考察が深まっていくと、いろいろなことに気がついてきます。
人生とは、悲喜こもごもで、誰もがつらい目にあったり、喜びにあったりします。
しかし、多くは、明確な因果関係で物事が起きていることが分かってきます。
確かに、前世の業が関与するケースもありますが、人生上のほとんどのことは、因果関係の連続です。

人生上で理不尽過ぎる大変な目に遭う場合もあります。一生懸命にやっても報われない場合です。必死になって勉強したけれども、希望の学校へ行けなかった。一生懸命に相手に尽くしたけれども離婚することになった。一生懸命に事業に頑張ったが、倒産した。
こういう理不尽さが、人生上で起きる場合もあります。

こういった理不尽な場合は、過去世において、何か悪心を起こして悪業を犯した可能性があります。それが現世で結晶化しているのでしょう。しかしもしかすると、本人が気付いていない明確な因果関係があるのかもしれません。

いえ、実は、明白な因果関係がある場合が多のです。案外、気がついていません。仏教で気付きの瞑想を推奨するにも、こういう気付きの力を高めることも関係しているのでしょう。

注意して欲しいのは、人生上で理不尽さに遭った場合、それが先祖の霊的な影響とか、何かの霊の影響と考える方もいらっしゃいますが、実はそのようなことは無いということです。こういったことはほとんどありません。全く無いとは言えませんが、ほとんどないようです。このこともいずれ詳しく説明いたしましょう。※こちら少し記述しました

そうして、因果関係を超越した僥倖(大変な幸運)に遭遇するなら、過去世において良いことをした可能性があります。それが現世で結晶化して幸せとなって享受しているのでしょう。

僥倖と言えるような、因果関係を超越したラッキーに遭遇するのは、過去世の善行の可能性が高くなります。しかし、天使とか守護霊とかに守られているという人もいますが、こういったことも滅多にありません。

過去世の行いが、現世に影響を及ぼすことは確かにあります。しかし全てがそうでは無いということです。人生上の幸・不幸の全てが、過去世の報いとは限りません。このことは増支部経典の何カ所かにも書かれています。

乱暴な言葉を使えば、上品な人は近づきません。
嘘を付けば、人は離れていきます。
暴力的であれば、温厚な人は去っていきます。

全部当たり前のことです。
人生は、当たり前の因果関係が多くあります。

最近はやたらと前世や先祖の因縁めいたものと絡めて説明する風潮が多い様子です。原因と結果が明白な因果関係までも「前世のお~」とかおっしゃる方がしますが、これはあまりにもナンセンス過ぎます。よく考えてください。

不摂生な生活をすれば、健康を害します。
勉強しなければ、成績は上がりません。
人に嫌がらせをすれば、疎まれます。

しかし世の中が悪ければ、なかなか成果が出ないときもあります。
「これも前世のお~」「地球のカルマがあ~」とか言われる方もいますが、冷静になりましょう。

世の中の事象は、個人的な前世とは関係がありません。
大地震もそうです。
地球には天変地異は数多く起きています。

地球のカルマとか言い出すケースもありますが、業の本質が分かれば、「地球のカルマ」と言ったって、「なんですかそれ?」となることはお分かりでしょう。「業」は「結果をともなう行い」です。地球が、結果をともなう行いをしていますか?自然現象です。

「いや、集合的無意識があ~」とか言う人もいるかもしれませんが、いい加減にしなさい。そういう妄想はほどほどに。

こういった考え方を完全否定はしませんが、あまりこういう考えて方をしていると「癡(ち)」を強めてしまいます。煩悩で言うところの「痴(ち)」を増していきます。
癡とは、頭脳が明晰に働かなくなる煩悩です。
鋭い判断や洞察はできなくなっていきます。

何かにつけて「前世のお~」とか結びつけるようになると、努力し精進する気持ちも弱くなっていきます。無意識のうちに前世に責任転嫁し、自分の罪を覆い隠してしまうこともありがちです。しかも努力をしないで楽な方法ややり方を求め、何かとよろしくありません。

人生の大抵は、因果関係で説明がつきます。
中には、因果関係では説明できないことがおきます。
そういうとき、初めて「前世の業が関係しているかもしれない」と考えるくらいが丁度良いのです。

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