前回で説明した通りこのように六欲界という天界は、人間の世界と似ているところがあります。
こういった事実が分かりますと、希望のある一つの推測が出てきます。それは何かといいますと、死後、六欲界の世界に転生するためには、人間界で生きている現在を、「天界と同じような心持ちで生活すればよい」ということです。
なぜなら、心の状態がそのまま自分の境涯にもなるからです。心の状態にふさわしい環境が現実になるからです。ですから、天界の神々と同じような気持ちをいつも持ち続けるなら、死後、天界へ転生する可能性が高くなるでしょう。
神々は、慈愛や博愛にあふれ、上品で物静かで、いつも愉快で微笑んでいます。言葉も綺麗で、行動もなめらかで、性格も温厚。生命への慈しみがあり、足ることを知って必要以上のものは求めない。不倫などもってのほかで、嘘を付くことはありません。のどかで、やさしく、丁寧でうるわしい状態の日々を過ごされていると思います。
ですから、人間の時代から、こういった徳性を身に付けるように日々、生活をしていますと、神々と同じ境涯になれるのではないかと推察します。
反対に、イライラ、焦り、下品、汚い言葉、がさつな行動などは、餓鬼にそっくりです。餓鬼は一言でいえば「卑しい」ですので、人間の時代から卑しい言動が多くなりますと、死後、餓鬼界に転生する可能性も出てくるのではないかと思います。
ですから、できるだけ上品に、品性を大切にして、また品性のある生活を心がけるのが大切ではないかと思います。五戒や十善戒や施行の中身は、上品ですよね。五戒や十善戒や施行は、品性をよくする実践項目でもあります。
事実、天界へ生まれ変わるためには「五戒と布施」になります。このことは既にこちらでも書きましたが、戒律と施行は、幸福な境涯となるためのシンプルな秘訣であります。この二つを守るだけで、幸せな生き方ができるようになります。
そして仏教では、神々の天界をさらに超える究極の幸せである「涅槃」を目指します。仏教の特徴とは、最高の幸せである「涅槃」を目指す点にあります。
ですが、その道中、少なくとも神々の境涯を生きるようになります。
化生(けしょう)する生命は前世を記憶している
神々は、化生(けしょう)で誕生しますので、人間のように胚から成長することがありません。ですので、いきなり脳もありますから、前世を憶えています。
実際、「天宮事経」というお経もあり、ここにはモッガラーナが天界を訪問し、神々に「あなたはどうして神々になれたのですか?」とインタビューをして、その言行がお経として残っているほどです。
ちなみに化生として誕生するのは、地獄、餓鬼もそうです。ですから、地獄の亡者も餓鬼も、ともに前世の記憶があります。
話しはそれますが、餓鬼は何故、自分が餓鬼になったのかが分かっているため、時々、人間にもお説教をするそうです。「善行をしてくださいよぉ~、善行しないと餓鬼になりますよぉ~」と言っているのかどうか分かりませんが、善行のおすすめを語る餓鬼もいるようです。
話しを戻しますが、神々の世界は、まさに幸福の極地といっても良い世界です。
素晴らしい世界ですね。
天界の世界の問題点
しかし。
神々の世界にも一つだけ問題点があります。このことは、実はあまり知られていないかもしれません。神々は大変優れた生命ですが、唯一、問題点があります。
そうしてこの問題点は、「何故仏教が必要なのか」ということと大いに関係があります。
この続きは次回に書きます。
必見かもしれません。