天人五衰~三十三天の神々が死期に受ける苦しみ

天人五衰とは?

天人五衰(てんにんごすい)。
仏教の言葉です。

パーリ仏典に「天人五衰」という言葉はありませんが、同じ原始仏典で漢訳の阿含経(増一阿含経第二十四 善聚品第三十二-六)には、天人五衰のことが伝承されています。

天人五衰とは、天界に住む天人のうち三十三天の神が、死期を迎える際に現れる5つの瑞兆をいいます。

経論によって伝承は異なりますが、おおむね

  1. 衣類がくすみ汚れる
  2. 頭部の花の冠がしおれる(頭頂の光が弱くなる)
  3. 腋から汗が流れ落ちる
  4. 体が汚れ始めて臭くなる
  5. 楽しむことができなくなる
のようです。
三十三天の神々は、死期が近くなると、これら5つの現象が生じるとともに、地獄以上の苦痛を受けるといいます。

天人五衰は三十三天の神々に顕著な現象

ただし注意が必要です。それは天人五衰が該当するのは三十三天の神ということです。上から4番目の天界の神々です。

天界(六欲天界)は、

  1. 他化自在天
  2. 楽自在天
  3. 兜率天
  4. 夜摩天
  5. 三十三天←天人五衰が現れる
  6. 四大王天←ここも天人五衰が現れそう
という六層からなっています。で、天人五衰は、三十三天(と四大王天)に起き得る現象の可能性があります。というのも天人五衰は、三十三天の神々に関する記述しかないからですね。

夜摩天以上の天界には天人五衰の言及がありません。なので天人五衰は、三十三天の神々に顕著な現象ではないかと思います。

天人五衰には大小がある~説一切有部「大毘婆沙論 第七十」

なお天人五衰には「小の五衰」「大の五衰」があります。

このことは、部派仏教(原始仏教)の最大派閥であった説一切有部のアビダルマ発智論の注釈書である「大毘婆沙論 第七十」にあります。

で、天人は死が近づくと「小の五衰」が出てくる。しかし小の五衰はリカバリーできます。けれども「大の五衰」が出ると、死を逃れなくなるといいます。

では「小の五衰」と「大の五衰」とは一体どういうことでしょうか?

小の五衰とは?

説一切有部系の大毘婆沙論で説かれる「小の五衰」とは、

  1. 天人は、身に備えた楽器から美しい5種類の楽音を出すが、死が近づくと、楽器は衰えて、声もかすれてしまう。
  2. 天人は、身体から輝かしい光を発しているが、死が近づくと、光が弱くなって暗くなり、薄暮のような影に包まれてしまう。
  3. 天人の肌はなめらかで凝脂に包まれ、水が付いてもはじいてしまう。しかし死が近づくと、肌に水が付いて残ってしまう。
  4. 天人は、一箇所にとどまることなく自由自在に駆け巡り、また何を行っても上手にこなし、次々と物事をこなしていく。しかし死が近づくと、一箇所にとどまり、そこから動きたくなくなる。
  5. 天人の身体は力にみちあふれ、眼もまばたきしないが、死が近づくと、身体は衰えて弱くなり、まばたきも多くなる。
というものです。

大の五衰とは?

また説一切有部系の大毘婆沙論が説く「大の五衰」とは、最初に紹介した通りです。

  1. 美しく浄らかだった衣服が垢がつくようになり汚れる
  2. 頭上にある華がしおれてしまう
  3. 両脇から汗が流れ出るようになる
  4. 身体から臭いにおいが出るようになる
  5. 楽しむことができなくなる
ということです。

天人五衰を伝える経典論書など

ちなみに天人五衰について伝承があるお経や論は、

  • 増一阿含経 第二十四・・・原始仏典(パーリ仏典には所蔵なし)
  • 法句譬喩経 一・・・原始仏典 法句経の因縁譬喩譚を説明した経
  • 大毘婆沙論 第七十・・・部派仏教の説一切有部アビダルマ発智論の注釈書
  • 正法念処経 巻二十二・・・部派仏教の正量部の説
  • 仏本行集経 第五・・・阿含経関連の本縁部
  • 大乗理趣六波羅蜜多経 巻三・・・大乗経典
  • 瑜伽師地論 巻四・・・大乗経典・唯識派経典
  • 大般涅槃経 十九・・・大乗経典(原始仏典ではない大般涅槃経)
  • 摩訶摩耶経 巻下・・・中国撰述の偽経
  • 往生要集・・・源信作。大乗理趣六波羅蜜多経より引用
というのがあります。

ほとんどが原始仏典や部派仏教の情報です。これらは経典の中でも古い時代になりますので、天人五衰は信憑性の高い情報かと思います。

経論によって異なる天人五衰

あと天人五衰は経論によって多少異なっています。たとえば、

増一阿含経 第二十四(原始仏典)
1.華の冠がしおれる
2.衣類が汚れる
3.腋から汗が流れる
4.楽しむことができなくなる
5.女性達が逃げ出す

法句譬喩経 一(原始仏典)
仏本行集経 第五(阿含経関連の本縁部)
1.頭頂の華がしぼむ
2.腋から汗が出る
3.衣類が汚れる
4.身体から出ている光が弱くなる
5.楽しむことができなくなる

摩訶摩耶経 巻下(中国撰述の偽経)
1.頭頂の華がしぼむ
2.腋から汗が出る
3.頭頂の光が弱くなる
4.両眼のまばたきが多くなる
5.楽しむことができなくなる

といった具合です。

天人五衰の異説

異説があるのは「身体が汚れて臭くなる」の代わりに、別を挙げている経論があることです。

  • 増一阿含経 第二十四・・・側近の女性達が逃げ出す
  • 法句譬喩経 一・・・身体から出ている光が弱くなる
  • 仏本行集経 第五・・・身体から出ている光が弱くなる
  • 摩訶摩耶経 巻下・・・両眼のまばたきが多くなる
  • 大乗理趣六波羅蜜多経 巻三・・・両眼のまばたきが多くなる

天人五衰の苦しみは地獄の業苦よりもはるかに苦しい

ところで天人五衰は、かなり強烈で猛烈に苦しいようです。このことも原始仏典系の経典をはじめとした経典にあります。

正法念処経 巻二十三

原始仏教の流れにある部派仏教の正量部の経の「正法念処経 巻二十三」には、「天人の五衰の時の苦悩に比べると、地獄で受ける苦悩もその16分の1に満たない」と説いています。

つまり、天人五衰の苦しみは「地獄の苦しみの16倍」ということです。地獄の苦しみよりはるかに苦痛が大きいということですね。どっひゃーーです^^;

天界の天人(とはいっても三十三天と四大王天ですが)は、健康な時代はいいのですは、死期が近くなると地獄以上の業苦を受けるようです。

もっともこれも注意が必要ですね。三十三天の神々の全てが、そういう地獄以上の業苦を受けるのではなくて、もしかすると「そういう神々もいるかもしれませんよ」ということなのかもしれません。

天人の転生先が三悪趣な理由

それでわかることがありますね。
どういうことかといえば、古来より、天人は死後、三悪趣(地獄、餓鬼、畜生、人間ならば苦しみの人間という悪い境涯)へ転生することが多いと言われています。

三悪趣へ生まれ変わる理由は、天人(中でも三十三天の神々)は死の直前に地獄の苦しみよりも強烈な苦痛を受けるためなんでしょう。

転生先を決める要因に

  • 重業・・・生前行った強い行為(善くも悪くも思いで深い行為)
  • 近業・・・死の間際に思うこと、感じること
  • 久習業・・・習慣
  • 已作業・・・普通の業(行為)、前世の業
があるといいますが、天人の場合は死の直前に感じる「近業」の影響が大きいんでしょうね。しかも地獄の16倍以上という苦痛・ネガティブな感情です。

この重たくもネガティブな近業によって、天人(三十三天)は、転生先が三悪趣になりやすいんじゃないかと思います。

幸福・快楽の極みよりも解脱・悟り

天人は、いわば幸福・快楽の極みの存在です。が、三十三天の神々は、わりと人間も転生しやすい天人です。ほどこし(施)、道徳を守る(戒)、心を浄める(瞑想)、思いやり(慈悲)を行えば、わりと行ける天界です。

しかし三十三天の神々になったとしても、その死の苦しみはかなり苦しい。で、避けることができない。

まさに無常。

「大乗理趣六波羅蜜多経 巻三」では、「人間より遥かに楽欲を受ける天人でも、最後はこの五衰の苦悩を免れない」「速やかに六道輪廻から解脱すべし」と力説していると。

ごもっともです。
大事なことは、成功や栄華を求めることよりも解脱・悟りですね。解脱・悟りことが真の安心であり幸福です。このことは原始仏典にもあります。

増一阿含経第二十四 善聚品第三十二ー六

実際、解脱・悟りを求める三十三天の天子の話しが、原始仏典「増一阿含経第二十四 善聚品第三十二-六」にあります。

このお経には、天人五衰にまみえ苦悩する三十三天の天子の様子が描かれています。

その天子はまもなく寿命が尽き、次は人間に生まれることを察知します。が、人間に生まれ変わると、お腹に宿り、固形物を食べ、死ぬときは刀で切られてしまい、苦しみの多い生涯となってします。

贅沢で豊潤な天宮の生活が終わることは残念だとして、その天子は愁憂し苦悩します。

結局、天界という絶頂の栄華をいくら味わっても、いつかはそれも終わってしまいます。しかも天人五衰という地獄以上の苦しみとともに。

その天子は、何事も変化していること(無常)に虚しさをおぼえ、仏法に帰依します。このお経はそういうお話しです。

ごもっともですね。解脱・悟りこそが最上の道である所以でもあります。

三島由紀夫の「豊穣の海(四)天人五衰」

なお三島由紀夫「豊穣の海(四)天人五衰」にも、天人五衰のことがわりと詳しく書いてあります。

三島本では、天人(神さま・天使)の死期が近づくと、5つの死の瑞兆が出てくると述べ、それは72ページからあります。で、天人五衰は、

・増一阿含経第二十四
・仏本行集経第五
・摩訶摩耶経巻下
・大毘婆沙論第七十

にあると述べています。

天人は、しあわせの絶頂の中で生き続けるものの、その死が近づくと天人五衰が出てきて、天人は大変苦しむと。

解脱・悟りが最上の道

スピリチュアルでは天使や神さまは大人気です。が、その天使にしろ、神さまにしろ、いずれ寿命が尽きます。で、苦悩してしまうと。

すべての命あるものは死を迎えますが、天人が死を迎えるときは、かなり懊悩するようですね。もっとも三十三天の神々に顕著ではないかと思います。

しかしながら、天界の喜悦と快楽を味わいつつも、その虚しさを知り尽くせば、解脱・悟りを求めるのは当然かもしれませんね。

解脱・悟りを求めることは、とても深い意味があります。

天人五衰は、なかなか意味深です。深く考えさせられます。