正語(しょうご)〜心を浄める丁寧かつ上品な言葉使い

正語(しょうご)〜心を浄める丁寧かつ上品な言葉使い

今日、近くの図書館へ行ったところ50代半ばの男性が、大変丁寧に応じていただけました。品の良さそうな方で、言葉も丁寧です。まだここの図書館に不慣れな感じですので、もしかすると何らかの事情により、この図書館に来たのか、あるいは転職されたのかもしれません。

 

本を借りて返却しただけのわずか数分の対応でしたが、とても良い対応で気持ちがよくなりました。なんだか有りがたい気持ちにもなりました。

 

丁寧な対応、上品な言葉は、心がきれいになりますね。
そうしている本人もさることながら、受けているこちら側も気持ちが清らかになります。

 

態度や言葉は、やはり丁寧で品を大切にしたほうが良いと、改めて思ったものでした。

 

 

正語は八正道の一支

ところでお釈迦さまが菩提樹の元で悟りを開かれたとき、悟りに至る方法として「八正道(はっしょうどう)」を再発見されました。
※再発見といいますのは、過去においても覚者(ブッダ)が八正道を説いているからですね。過去にもブッダがいて(過去七仏)、皆、同じダンマを説かれています。)

 

八正道は仏教の根幹を成す実践法でして、仏道修行の全てが集約されている実践行でもあります。
八正道は、後に「七科三七道品」といって7種類と37項目から成る修行方法にも分割されますが、仏道修行の基本であり根幹は「八正道」になります。
もっとも八正道は三学(さんがく)を八支にしたものでもあります。

 

八正道とは

 

正見(しょうけん)・・・物の見方
正思(しょうし)・・・心・意志
正語(しょうご)・・・言葉
正業(しょうごう)・・・行い
正命(しょうみょう)・・・生活・仕事
正精進(しょうしょうじん)・・・努力の仕方
正念(しょうねん)・・・気付きの瞑想
正定(しょうじょう)・・・禅定・サマーディを得る瞑想

 

といった8項目からなる実践ですね。
これら8項目のそれぞれを「正しくする」実践行です。

 

そして八正道の中に「正語」が入っていますね。

 

 

正語とは?

では正語とは具体的にどういう実践なのでしょうか。
一言でいえば正語とは「正しい言葉使い」をいいます。

 

正語とは、

 

・不妄語(ふもうご)・・・嘘を付かない
・不綺語(ふきご)・・・つまらないことや、お世辞が過ぎることを言わない
・不両舌(ふりょうぜつ)・・・仲違いさせることを言わない。人間関係を悪化させることを言わない。
・不悪口(ふあくご)・・・粗野であったり乱暴な言葉を使わない

 

と言われています。

 

正語の内容は、実は「十善戒」に含まれています。在家が実践する戒律にもきちんと含まれているのですね。十善戒のことはこちら

 

ですが、言葉の使い方がぞんざいで、礼節を欠いてしまうケースがあります。
中には、こういうのが習慣化している方もいらっしゃいます。
さらには、丁寧や上品な言葉を毛嫌いして、品性の無い言葉使いに親近感を感じる方もいます。
最近はテレビの影響も大きいでしょう。汚い言葉を使うことが「親しみの表れ」と勘違いし、丁寧で上品な言葉を使う人を「親近感が無い」といって批難することさえあります。

 

人間の感性は人それぞれですが、殊、仏教を実践する者に関していいますと、言葉は丁寧で上品で、なおかつ思いやりがあって正しいことを語ることが望ましくなります。なぜならこれらの実践そのものが「正語」の実践になるからです。また「十善戒」の実践にもなるからです。人が幸せになれる方法です。

 

仏教では、心・言葉・行為を汚くする者を「愚者」と呼んでいます。「愚か者」です。仏教を実践する者は、愚者であってはなりませんね。また愚者と慣れ親しんではならないとお釈迦さまは説かれます。

 

もちろん形式にとらわれてはいけませんが、しかし「形」は大切です。
相撲にしろ柔道にしろ、まずは「型」から入ります。
型を通して、基本が習得もされます。
このことは、あらゆる習得や修行にも通じることですね。
型は大切です。

 

ですので、「正語」にしろ「十善戒」にしろ、まずは「形」から入っていくいのが実際的でもあろうかと思います。

 

このように正語とは、悪い言葉を避けて、思いやりをもって本当のことを話、丁寧かつ上品な心で言葉を使うことが本質になってきます。
そういうことを仏教では「正しい」としているわけですね。

 

 

正しい言葉とは?

ところで、仏教ではよく「正しい」ということをいいますね。
仏教でいう正しいとはどういうことなのでしょうか。

 

仏教では「正しい」と使った場合、基本的に「きよらかさ」を意味します。
言い換えますと、「煩悩が無い」「煩悩が少ない」「煩悩をすくなくする」、これが「正しい」になります。

 

ですので、「正しい言葉使い」とは、煩悩ね根付かない、煩悩を生起させない、相手の煩悩も生じさせない言葉の使い方を意味します。

 

仏教の善悪については、こちらで詳しく述べています。

 

このように書くと「なんだか、難しいなあ」と思われるかもしれません。

 

ですが、「心をきよらかにして言葉を使う」ということになります。

 

心を清らかにする、ということです。
心が澄んだ状態で言葉を発しますと、自分も、聞いている相手も気持ちがよいものです。

 

「なんだか清々しく気持ちのよい感じ」、それが「心の清らかさ」の印象です。

 

丁寧で上品な言葉使いは、心が清まった状態や思いやりから発せらる言葉使いです。

 

もっとも、慇懃無礼や、皮肉交じりで丁寧さや上品ぶって取り繕うケースも見られますが、こういうのは心が汚れていますので、決して「正語」にはなりません。

 

心が良い状態から発せられた言葉が「正語」になるわけですね。
ですから、必然的に、丁寧で上品な感じの言葉が多くなります。

 

正語は、聞いていて気持ちの良いものです。
言葉をよくすることで、人間関係もよくなります。
まさに「正語」は、幸せになれる方法ですね。

 

今日の図書館の職員の対応ではありませんが、丁寧で上品、うるわしい対応は、本当に心が洗われる感じがします。常日頃から、正語でありたいですね。