人間だけがブッダになることができる
人間だけがブッダになることができる。が、このことを知っている方は少ないかもしれません。
もちろん天界の神もブッダになる可能性があるといいます。しかし人間のほうがチャンスがあるといいます。
パーリ仏典などの原始仏教関連の書を読みますと、人間の特異性が分かってきます。現実的なことをいいますと、ブッダになることができるのは人間ということになります。
預流果・一来果・不還果も阿羅漢になるが
ちなみに天界に転生した預流果や一来果の神は、何度か輪廻しながら涅槃にいたることができます。
また浄居天の神も涅槃に入ります。しかし浄居天に入るためには、人間の時代に仏道修行をして不還果(ふげんか)という段階にならなければ入れません。
結局、ブッダ(阿羅漢)になれるのは「人間だけ」ということになります。
人間は特殊な生命
人間は本当に特殊な生命なのですね。心をダイナミックに変化させて善行もできます。神々ですら善業を重なるためにあえて人間に転生してくるくらいです。
善をなすことができる特殊な生命、それが人間です。仏道修行をして成長できるのも人間です。人間だけがブッダにもなれるわけです。ですから、この人間の時代にできるだけ善行をして、仏道修行をすることがおすすめなのですね。
そして人間だけがブッダになれる特質を後世の大乗仏教では、「仏性(ぶっしょう)」というようになりました。仏性という言葉や概念は原始仏教には出てきません。しかし原始仏典を読み解いていくなら、必然的に到達する観念でもあります。
仏種・如来蔵
仏性は、お経によっても呼び名が違ってきます。
「法華経」では、仏種(ぶっしゅ)といいます。法華経では「仏に成る種」という意味で使っています。
「勝鬘経(しょうまんきょう)」では「如来蔵(にょらいぞう)」という言葉を当てています。意味は同じです。
この仏種にしても、如来蔵にしても、本来は人間だけがブッダになれるという特徴をいったものでした。しかしこれが変容されてしまい、あたかも人間の中に「仏陀の心」があるかのように誤解され錯覚されてしまいました。
これは厳密にいえば間違った解釈です。仏性は、人間は修行をすれば仏陀になれるといった特質を言ったものですね。人間だからといって全員、ブッダの心があるとは限りません。
一切衆生悉有仏性
そして一番よく知られているのが、後世に作られた「大般涅槃経」にある「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」です。これは仏性をかなり拡大しています。全ての生命の中に仏の心があると解釈されがちです。
もっともあらゆる生命は輪廻転生していますので、小さな虫であっても、いつか人間となって転生し、ブッダになる可能性もあるわけなので、その可能性を示唆した意味での「一切衆生悉有仏性」なら正しいといえるでしょう。
しかし全ての生命に「ブッダの心」があるとするのは拡大解釈のしすぎと言わざるをえません。