異熟という業(カルマ)

異熟という業(カルマ)

さて話しは続きますが、輪廻転生のことは原始仏教でも出てきますが、その直後のアビダルマ仏教で精密に分析され洞察も深まっていきました。

 

業については、アビダルマ仏教の精密な分析が参考になるところがあります。そこでここ数日、アビダルマ仏教の業の分析に基づく見解を書いています。

 

アビダルマ仏教では「異熟(いじゅく)」という聞き慣れない業(カルマ)の結果を指摘しています。

 

異熟。
これは、一言でいえば「宿命」のような結果(業による結果)です。
異熟はスピ系や新興宗教で言われている業の概念に近いものです。

 

とはいっても、それほど因業めいたものではなく、言ってみれば、その人の「個性」となる核をいいます。人それぞれ特徴や個性がありますよね。
陽気な人、冷静な人、軽率な人、思慮深い人、社交的な人、研究好きな人、それぞれ気質があります。こういったその人の核となる傾向を「異熟」といいます。

 

これを聞けば「なあんだ」と思いますよね。それぞれの個性になるわけです。

 

もっとも中にはこの異熟が、厄介な場合があります。たとえば人を騙す癖のある人、嘘を言いやすい人、欲望が異常に強い人、落ち着きがなさすぎる人、こういったトラブルを引き起こしやすい異熟として生まれてくる方もいらっしゃいます。

 

実は、こういった特殊なケースの異熟が、近年のスピ系や新興宗教で言われている「業」の概念に近くなります。

 

異熟は、人それぞれ違います。中には大変優秀な異熟を持ち、「三因」という生まれの方もいらっしゃいます。

 

異熟のことを考えれば、人間は決して平等ではないことが分かります。機会は平等であっても、人間はスタートラインから全然不平等な生命です。このことは人間に限らず、全ての生命が該当し、あらゆる生命は異なっています。不平等ととらえるか、個性ととらえるかで、その後の人生観も異なりましょう。

 

そうして大切なことは、「何故、こういう異熟を持って生まれてくるか」です。

 

この答えが、前世での行い(業)です。前世の業(行い)の際だった傾向、継続されてきた傾向が、現世での「異熟」として形成されてくることですね。

 

日頃の自分の行動、思考、感情の出し方を見ていれば、来世、どういった異熟を持った人間になるのか分かります。最近はテレビの影響が強いですので、吉本興業のようなノリの人生を送っていれば、掉挙(じょうこ)という煩悩が異熟となって、落ち着きが無く、思考力の弱い生命として誕生してくるでしょう。テレビに出てくる人の真似をするのは大変危険です。

 

反対にリラックスを心がけ、家族や友人を大切にして人にも親切にし、言葉にも気をつけて思慮深く生活をしていれば、来世は、天界か、人間であるなら大変優秀な生命として誕生するでしょう。

 

業は、来世において異熟となって形成もされます。
そしてもっと重大なことがあります。
このことは、ほとんどと知られていない、輪廻転生に関する重大な秘密です。

 

この話しは次回に続きます。