仏教

天界(色界・無色界)エントリー一覧

梵天という神さま

ここ数日、梵天(ぼんてん)について書いていますが、梵天とは、キリスト教の世界でいいますと、創造主と同じになります。今回は、この梵天(創造主)について書いてみたいと思います。

 

梵天は、普通の神様とは次元を異にした神さまになることは前回の記事でも説明した通りです。稀に神がかりの状態になる方もいますが、こういうケースは普通の神様とのコンタクトになります。つまり、六欲界(ろくよくかい)という、いわゆる「天上界」「天界」といわれる世界の神さまとのコンタクトになります。

 

六欲界の神様は、人間界と似ているといいます。ふつーに生活をして、商売をしたり、そんな生活を送っているといいます。しかし、人間とは異なるところがあります。それは、心の振幅が小さいということのようです。

 

六欲界の神々の場合、簡単に言ってしまいますと、いわゆる「ポジティブシンキング」状態です。プラス思考ですね。いつも明るく、楽しく、ハッピーで、幸せな気分、それが六欲界という世界の神様の心の状態といわれています。

 

人間と違い、心が変化しにくいのが神さまの特徴です。ですので、ずーっと喜びにあふれていたり、幸せ一杯の状態が続くようです。中には、死ぬまで遊び続ける神さまもいらっしゃるようです。

 

ですが、神さまといいましても、一面、弱点があります。それは、人間のように大きく心を変化させることができないため、瞑想修行とかは大変らしいです。実は、人間だけが心を大きく変化できる生命であったりします。ですので、神さまの中には、あえて人間に転生してきて、人間となって修行をする方もいらっしゃるようです。

 

話しを梵天に戻しますが、梵天の神さまは、六欲界の神さまのようにハッピーな状態を超えて、もっと深く静かで統一した心で存在していらっしゃいます。この心の状態は、いわゆる「禅定」という状態です。

 

心はほとんど動かず、無心か無心に近い状態になり、喜びと快楽と統一感といった状態で静かにたたずんでいる状態です。

 

また愛に大変あふれて、いわゆる「慈悲」「アガペー」のかたまりの存在が梵天です。「ワンネス」という状態も同じでです。自分と他人との区別がなくなり、一体感だけが存在するマインドです。

 

生命体としては、最高の存在ですね。

 

ですが、最高の生命でいらっしゃる梵天でも、勘違い、考え違いをすることがあるようです。仏典には、梵天のこういった側面がいくつか書かれていて、「え?」と思わせます。

 

梵天は寿命が大変長い方ですので、中には「我は永遠の存在である」「絶対的な存在である」と思っていらっしゃる方もいるようです。ですが、「それは、そなたが長生き過ぎるので、過去世(前世)のことを思い出せなくなっているため勘違いされているのですよ」とお釈迦さまが梵天を諭すシーンが仏典にはあります。

 

梵天といえども勘違いしされるようですので、もし仮に勘違いされたまま人間界に何らかのメッセージを送られ、これをキャッチされた人間が発言し始めると、やがて世界に混乱も起きてくるかもしれません。

 

ですが、そういう側面があっても、梵天は立派な心を持たれた方でいらっしゃいます。

 

そして人間も、梵天の心になれることがあります。それが瞑想です。瞑想をすることで、心が静まり、静寂になり、心の動きがなくなってくると、スーっと入っていくことがあります。いわゆる「禅」「ジャーナ」「定」と呼ばれる状態です。「禅定」という状態です。

 

人間が、禅定に入ることができるのは大変ラッキーなことです。六欲界の神々でも難しいとされる心に人間が到達できるというのも、実は人間という生命の「特権」であったりします。

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2012/05/07


色界梵天

さて話しの順番が前後してしまいましたが、天界のうち、二番目に位置する「色界」について今日はお話いたします。

 

何度も書いていますが、天界は三層かなら成る世界ですね。(※くわしいことはこちら
六欲界、色界、無色界
この3つです。
六欲界は、既にお話いたしました。
今日は、色界(しきかい)です。

 

色界は、以前にも書きましたが、通常は入れない世界です。
色界に入るためには、善行をおこなって、しかも瞑想をして「禅定」「ジャーナ」「サマーディ」といった心の状態にならないと到達できません。禅が出来ていないと決して入ることのできない神々の世界です。

 

色界は梵天(ぼんてん)という偉大な神さまがいらっしゃる世界です。
梵天とは、世界の創造主ですね。
こういった神々の住む世界です。
もしも瞑想か何かで禅定に入ることができれば、色界と同じで、梵天と同じ心になります。

 

しかし色界は、瞑想をして禅定という心を作らないと、決して入ることができない世界です。

 

ちなみに禅定は

 

・初禅
・第二禅
・第三禅
・第四禅

 

というように4段階の深まりをみせていきます。
色界も禅定の瞑想の深さに対応しています。

 

そうして、それぞれの色界は3層になっています。

 

・衆・・・一般の梵天の神々
・輔・・・大臣のように大梵天を補佐する
・天・・・大梵天(梵天の王)

 

といった具合です。

 

そうして、色界の最上位には「浄居天(じょうごてん)」という特殊な色界があります。
浄居天は、時々説明もしてきましたが、仏道修行をした方だけが入れる特殊な色界です。
簡単に言ってしまいますと、浄居天の神としての寿命が終われば、そのまま涅槃に入ってしまう世界です。実は浄土宗の「極楽」が「浄居天」になります。詳しいことはまた機会のあるときのご説明いたします。

 

ちなみに梵天の体の大きさは巨大です。
数キロ〜6500キロメートルの大きさになります。
火星の大きさが6795キロメートルですので、第四禅定の梵天である広果天(こうかてん)は火星の惑星と同じくらいの大きさになります。

 

身体の大きさが、本当に数キロから地球くらいの惑星並の大きさです。
これは空想とかではなく、リアルにいらっしゃる色界梵天の神様の大きさです。
分かりやすくいいますと、もののけ姫に出てきたシシ神よりもずっと巨大です。
ちなみにお釈迦さまは梵天とも遭って説法もしています。

 

そうして色界は次のような構成になっています。
こちらの詳しいことはまた次回、ご説明いたします。

 

 

色界の世界

 

【初禅天】
梵衆天(ぼんしゅうてん)
第1天
身長は半由旬(約6.5?)、寿命は半劫(21億6千万年)

 

梵輔天(ぼんほてん)
第2天
大梵天王を補佐する大臣
天衆の身長は1由旬(約13?)、寿命は1劫(43億2000万年)

 

大梵天(だいぼんてん)
第3天
いわゆる「梵天」。バラモン教やヒンドゥー教のブラフマー神がこの大梵天です。
天衆の身長は1由旬(約13?)、寿命は1劫半(64億8千万年)

 

 

【第二禅天】
少光天(しょうこうてん)
身体より光明を放つ梵天衆

 

無量光天(むりょうこうてん)
身体より無量の光明を放つ梵天の大臣

 

発光天(はっこうてん)または光音天

 

 

【第三禅天】
少浄光天(しょうじょうこうてん)
天衆の身長は16由旬(約208?)、寿命は16劫(691億2000万年)

 

無量浄光天(むりょうじょうこうてん)
天衆の身長は32由旬(約416?)、寿命は32劫(1382億4000万年)

 

遍照光天(へんじょうこうてん)
身長は64由旬(約832?)、寿命は64劫(2764億8000万年)

 

 

【第四禅天】
広果天(こうかてん)
凡夫が生まれ変わることのできる最高の天処である。
身長は500由旬(約6500?)で、寿命は300劫(12,960億万年)

 

無想有情天(むそううじょうてん)
無想有情で、あらゆる心想(精神作用)がない
寿命は500劫(21,600億万年)

 

浄居天(じょうごてん)
仏道修行をして不還化(ふげんか)となった者だけが到達できる色界。
死後、そのまま般涅槃する。
色界の最高位の世界です。
浄居天には5層となっていて、
浄居地(じょうごち)、不捨地天(ふしゃちてん)、無熱天(むねつてん)、善現天(ぜんげんてん)、善見天(ぜんけんてん)、無劣天(むれつてん)
となっています。
浄居天の神々は第四禅定に入ったり、あるいは四無量心(しむりょうしん)の三昧に入ったままです。

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2012/07/09


色界梵天の身体は「星の大きさ」

さて色界についてです。
昨日から色界(しきかい)の説明に入っています。
色界は、ジャーナ(禅定)の状態の世界といえます。
ずっと瞑想をして禅定に入ったままか、四無量心といって慈愛にものすごく富んだ状態でいる神々でいらっしゃいます。六欲界の神々をはるかにしのぐピュアな心を持った偉大なる神々です。天地創造や創造主の神々ともされています。

 

そうして色界にいる神々は巨大です。
色界のもっとも下の梵天衆の神様の大きさですら6キロメートルです。
ちょっとした町くらいの大きさです。

 

日本の伝説にもあるダイダラボッチと同じくらいの大きさかもしれません。
ちなみにダイダラボッチが手を付いた所が静岡県の浜名湖といわれています。

 

とにかく梵天は巨大です。
もっとも大きな梵天になりますと、諸説はありますが火星と同じくらいの大きさの梵天もいるといいます。6500キロメートルの巨大な身体です。

 

ちなみに漢訳の阿含経では、パーリとはまた違った記述になっています。
色界の最高位の浄居天の神になりますと、ものすごく巨大です。

 

浄居天の最高位の「無劣天(色究竟天)」となりますと、身長は16000由旬(約112,000km)、寿命は16000劫(約69兆1200億年)といいます。
身長が11万2千キロです!

 

木星の大きさが約142800キロですので、浄居天の最高位「無劣天(色究竟天)」は木星とほぼ同じ大きさということになります。

 

天界は、人間の目には見えませんがリアルで実在している世界になります。
大地より約50mくらい上から存在しているといいます。
色界は大気圏外に存在している広大に広がる世界であろうと思います。

 

その色界にいらっしゃる神々は巨大で惑星並の大きさの体で存在しているというから驚きです。
もしも色界の梵天に遭遇したなら姿は見えないでしょう。といいますか巨大過ぎて人間の視野には入り切りませんので存在を確認できないはずです。声しか聞こえないとか、そういったことになるでしょう。梵天はそれくらい巨大な体をしていますが、リアルに実在する神々ということです。

 

「人間は死んだらお星様になる」といった俗説もありますが、もしかすると大変な善行を積み、瞑想をしてジャーナを得た人の死後を言ったことかもしれません。
禅定を得ていれば死後、人間は梵天(色界)に転生することもでてきます。
色界梵天の大きさは、6キロ〜11万2千キロです。

 

梵天の神となって星と同じくらいの大きさの体になるたとえを「死んだらお星様になる」といっているとしたら、なかなか優れた指摘であるとも思います。

 

梵天は6キロ〜木星くらいまでの巨大なサイズですが、生命は徳が高まるにつれて巨大になっていく関係はありそうです。

 

ジャイナ教では、身体の大きさに比例して生命は優れているとしていますが、この教えはこういった生命の事実から導かれた見解なのでないないかと思います。

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2012/07/10


色界と禅定

このところずっと天界のことを書いていますが、やはり天界のことを考えたり書いていますと気分がいいでですね。とても爽快です。同じ生命であるならやはり天界の神々になるのがいいですね。

 

ですが仏教では、長々と天界にいると時間がもったいないので半ば自殺するようなかたちで人間に転生してくる神々もいらっしゃるというから驚きです。

 

パーリ仏典には興味深い記述もあって、修行の進んだ比丘や修行者は自分で転生先を選ぶこともできるようです。ジャーナに入ることができれば死後は自動的に色界の梵天に転生します。しかしいったん梵天になりますと数十億年の寿命になり、膨大な時間が過ぎ去っていきます。

 

そこで自分が望む天界へあえて転生してしまうということのようです。
実際お釈迦さまは六欲天の4番目の天界「兜率天(とそつてん)」から人間に下生してきました。推測ですがあえて兜率天に転生されて、そうして人間に生まれてきたのではないかと思います。

 

天界での寿命は途方もなく長いのが特徴です。
最低でも21億6千万年以上の寿命です。
21億年以上の寿命!

 

さらに将来、涅槃に入ることが約束されている浄居天の神々になりますと69兆1200億年の寿命。
69兆年です!
兆です!兆!

 

お釈迦さまが人間の時代に出家して阿羅漢(ブッダ)になることを奨めたのもうなずけます。不還果も素晴らしい聖者ですが69兆年も天界にいることになりますので、途方もなく長い時間になります。

 

ちなみにパーリ仏典に出てくる地球の過去の時代のブッダ(過去仏)のことは、この浄居天にいらっしゃる神々にインタビューして聞いたとお釈迦さまはいっしゃっています。

 

何兆年も生きていらっしゃいますので、宇宙の生成崩壊も何度もご覧になっているのもうなずけます。

 

このように色界の梵天になりますと、気が遠くなるくらいの寿命にもなりますが、身体も火星や木星クラスの巨大な大きさの梵天もいらっしゃいますので、あらゆる点においてスケールが大きくなります。

 

この梵天になるための方法は、パーリ仏典にも書いてあります。お釈迦さまの前世の話しとして、梵天になった話しと、その方法も載っています。詳しいことは別の機会に譲りますが、梵天になるためには「禅定」を得る必要があります。

 

 

色界と禅定

 

この驚異的な神々の世界、色界は、以前にも書きましたが、通常は入つことはできない世界です。
梵天(ぼんてん)になるためには、梵天と同じ心を作っておく必要があります。

 

それが「禅」という心です。
ジャーナ、サマーディともいいます。
ジャーナを漢訳したのが「禅(ゼン)」です。

 

色界は、瞑想をして禅定という心を作らないと、決して入ることができない世界です。
座禅を何故、行うのかといえば、禅定という心を作るためです。
ですので日本の禅宗でも「見性」を得たなら、基本的に来世は色界の梵天になれます。

 

そうして禅定とは、尋(じん)、伺(し)、喜(き)、楽(らく)、一境性(いっきょうせい)という5つの心から始まる心の状態です。この5つの心を「五禅支(ごぜんし)」といいます。五禅支はジャーナを得る仏教の瞑想修行では必ず出てくるものです。もっとも四念処系では出てこないことも少なくありません。

 

五禅支とは

 

・尋(じん)/vitakka(ヴィタカ)・・・対象に向かっている心。
・伺(し)/vicaara(ヴィカラ))・・・対象に向かっている心を維持する心。
・喜(き)/piti(ピティ)・・・喜び。高揚感。
・楽(らく)/sukha(スカ))・・・身体的な楽。安楽感。
・一境性(いっきょうせい)/ekaggata(エーカガッタ)・・・統一感。一体感。

 

このような性質の心から成る状態です。

 

そして禅定は4段階の深まりとなっていきます。

 

・初禅・・・尋、伺、喜、楽、一境性
・第二禅・・・喜、楽、一境性
・第三禅・・・楽、一境性
・第四禅・・・一境性

 

禅定に入ると思考や雑念は起きません。しかし周囲で起きていることは分かるようです。
第四禅では一体感だけです。また呼吸が大変小さくなり心臓の動きも小さくなります。神通力が発生しやすいのも第四禅です。

 

そして人間がもし、これらの禅定に達することができると、死後、色界に転生できます。梵天という神になります。

 

色界は、禅定の深さと徳の大きさによってランクがあります。
それぞれ衆・輔・大というランクがあって、一般、補佐役(大臣)、王様というランクです。衆が一般といっても偉大な梵天の神さまです。

 

色界と禅定の深さとは、こういう関係になって、禅定の深まりがそのまま色界の四層と対応しています。

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2012/07/11


浄居天〜色界の隠し部屋?

ところで色界には、隠し部屋といってもよい天界があります。
それは「浄居天(じょうこてん)」です。

 

浄居天(じょうこてん)。

 

今までも何度か出てきましたが、今回、あらためて詳しく書いてみたいと思います。

 

浄居天という世界、もしかすると初めて聞く方もいるかもしれません。

 

浄居天は、普通の生命は絶対に入ることができない世界です。
お釈迦さまも「浄居天だけは行ったことが無い」とおっしゃっています。
それもそのはず、浄居天に転生しますと二度と生まれ変わってこなくなるからですね。

 

そして浄居天は、ある条件を満たした生命だけが入ることが許される「特別な色界」です。
秘密の会員クラブ(下世話な喩えですみません)とは違いますが、ある条件を備えた「人間」だけが入ることのできる世界です。色界の最高位です。

 

ある条件を満たした生命とは一体・・・?

 

答えをいいますと、仏道修行をして不還果(ふげんか)となった聖者だけが入ることができる色界です。
不還果(ふげんか)。

 

アナーガミー、または漢訳して阿那含(あなごん)ともいいます。
以前、預流果(よるか)のことをお話しましたが、預流果の聖者がさらに修行が進むと、不還果になります。言葉を換えますと、預流果の方がさらに修行が進むと不還果になるわけですね。
不還果は、阿羅漢(あらかん)というブッダの一歩手前の方になります。

 

そうして、不還果は亡くなりますと、死後、浄居天の神に生まれ変わります。浄居天での一生を終えますと、自動的に涅槃に入るわけです。
つまり、浄居天とは、涅槃に入る神々がいらっしゃる世界をいうわけです。

 

ちなみに浄土宗のいう極楽とは、この不還果が住む浄居天の神々の世界を言っていられるような印象です。極楽浄土とは浄居天のように思われます。

 

しかし浄居天は普通の人間には入れません。仏道修行をして不還果となった人間だけが転生できる神々の世界になるわけです。

 

色界の天界は四層(四禅)の世界といいましても正確には、四禅+浄居天という五層から成り立つ世界といっても良いと思います。浄居天は特殊ですので別格扱いをしたほうがよいと思います。

 

ちなみにお釈迦さまが涅槃に入るとき、第四禅で般涅槃しています。これは第四禅からいったんは浄居天を通って、そのまま涅槃に至るからだともいわています。実に、浄居天は、涅槃の入り口になるのではないかとも思われます。

 

RPGでいえば、ゴールに到着するための秘密の通路、隠し部屋のような感じですね。ゴールへの秘密の部屋が分からなければ、プレイヤーはゲームをクリヤーできません。終わりの無いRPGを延々とやることになってしまいます。ゴールへの秘密の部屋へ入れなければ、プレイヤーの経験値はゼロにもなってしまう、まさに永遠に続く「輪廻転生」ゲームです。

 

隠しモードというか、普通は見つけられない浄居天です。

 

しかし浄居天の神々は、
・寿命/16000劫(約69兆1200億年)
・身長/16000由旬(約112000km)
というハイスペックな方でいらっしゃします。

 

69兆年も生きていますと、どういう感じになるのでしょうか。

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2012/07/12


無想有情天〜行ってはいけない天界(色界)

色界は梵天の世界で、心は禅定の状態でずっと瞑想し、あるいは四無量心といった慈悲喜捨の深い愛に満ちた状態の神々です。

 

生命では最高峰といえる状態です。

 

しかしこの色界に、実は「行ってはならない」とされている色界の世界があります。

 

「え?行ってはいけない神々の世界?」

 

と思われるでしょう。

 

そうです。
実は、色界の梵天界には、行ってはならないとされている世界があります。
驚きなのですが、お釈迦さまがそうおっしゃっています。

 

行ってはならない色界、それは

 

無想有情天(むそううじょうてん)です。

 

無想天ともいいます。
無想有情天は第四禅天という、禅定が深まった世界です。

 

 

心が完全に一時停止している世界

無想有情天が、何故、行ってはならない梵天の世界かといいますと、実は無想有情天、精神作用が全く止まってしまう世界だからです。一見すると禅定が深まっている梵天の世界と思われますが、さにあらずなのです。

 

無想有情天は心の働きが一切止まってしまっている状態といいます。

 

「心が静止しているなら、それは涅槃と同じでは?」
と思われるかもしれませんが、違うのですね。

 

無想有情天は、一時的に心が止まっている状態といいます。
無想有情天の寿命が終わると、再び別の生命に転生し心は動き出します。
無想有情天に入ると一時的に心がストップするだけのようです。

 

無想有情天は、第四禅定という深い瞑想の状態で、一時的に心が止まってしまった状態です。無想有情天にとどまっている間は「一回休止」のような状態です。

 

無想有情天の死後は、別の生命に転生して、心が動き出します。

 

世の中は無常で、常に変化しています。
単に一時的に止まっているだけですので、やがて再び動き出すわけです。動物の冬眠に似たような感じです。

 

あるいは、鉱物のような状態として喩える方もいます。
心があっても止まっているなら、それは鉱物と変わりありません。

 

無想有情天は、寿命は500劫(21,600億万年)です。
なんと21億年の間、心が止まったままです。

 

ですのでお釈迦さまは「ここは行ってもムダ」といったことをおっしゃっています。
それはそうでしょう。時間が止まっているような状態です。
いたずらに時間を無駄にしますので、21億年間も静止しているのは効率が悪すぎますね。

 

 

涅槃に入る前の最大の落とし穴?

ところで無想有情天は、浄居天の手前にある世界です。
色界の第四禅天の「広果天」の中にあるといいます。広果天は浄居天のすぐ下にあります。同じ第四禅定でも異質な世界、それが無想有情天なのでしょう。

 

なんていいましょうか、涅槃に入る前の最大の落とし穴といった印象もあります。
最後にとんでもない錯覚が待ち受けているようでして、心を一時的に止めたことを「悟った」とするケースもあるようです。

 

日本の禅僧にも禅定を深めて一時的に心を止めた状態を「悟り・無明を滅ぼした」としている方もいそうな印象もあります。

 

こういう禅定を繰り返していると、死後、無想有情天に転生し、約21億年間、冬眠の状態になるそうです。無想有情天に転生すると、時間だけが流れて、何もしていない「ストップ」したままの状態ですので、行ってはならない世界なのでしょうね。気をつけたい禅定の世界だったりします。

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2012/07/13


無色界〜天界の頂点・世界の頂点

天界の説明が少し止まっていましたが再開です。

 

しばらく間が空きましたのでおさらいですが、天界は三層構造になっていますね。既に説明もしておりますが、?六欲界、?色界、?無色界の三層ですね。

 

それぞれの天界は、

 

六欲界
戒行と善行を収めた生命が入れる世界。
プラス思考の世界。
五感を満足させる快楽の世界。
肉体と心があり、男性は20歳、女性は16歳のまま長寿を生きる。

 

色界
禅定という深い瞑想に達した生命だけが入ることのできる世界。
四無量心という慈悲などの心に満ちた世界。
肉体と心があり、皆同じ姿をしている。
六欲界よりも長い寿命と、巨大な身体を持つ。
「天地創造の神」と言われる神がいる世界。

 

無色界
色界よりもさらに深まり、無色界禅定という世界。
肉体は無く「心」「意識」だけの世界。
物質の無い世界で心だけが微弱に働く世界。

 

こういった特徴があります。

 

無色界は、物質が無く、心だけの世界のようです。

 

しかし想像できますか?心だけの世界。

 

私には想像も付かず、どうしても物質(実体)を備えたイメージになってしまいます。しかしこの世には極微粒子、クォークといったレベルの素粒子すら存在しない「心」だけの世界があることに驚愕します。

 

想像になりますが、無色界に至れば「悟り」「解脱」と勘違いする確率は相当に高くなると思います。実際、無色界を「悟り」「解脱」としているケースもあろうかと思います。

 

ちなみに、無色界に至るためには、瞑想を深めて「無色界禅定」に入らないと到達できません。

 

無色界禅定とは、通常の禅定(初禅、第二禅、第三禅、第四禅)よりもさらに深まった禅定になります。

 

そして、無色界禅定も四段階になっています。
ちなみに、無色界禅定の四段階は、そのまま無色界の四層に対応しています。

 

 

無色界の四層構造

 

無色界とはどういった世界かといいますと、なかなか容易に理解のできにくい世界ですが、次のような4つの世界になっています(無色界禅定のこれに相当します)

 

 

空無辺処(くうむへんしょ)
無色界の第一天になります。
辺(仕切り、区切り)が無いとして、無限に広がる空間の世界のようです。宇宙空間ですね。
無色界禅定の空無辺処定でも、空間を禅定の対象とするようです。

 

 

識無辺処(しきむへんしょ)
無色界の第二天になります。
今度は空間ではなく、意識は無限大の大きさであるとする世界のようです。
完全なワンネスの世界ではないかと思います。

 

いわゆる「宇宙意識」とか、そういった広大普遍な意識の世界ではないかと思います。
宇宙意識を「悟り・解脱」とする方もいます。しかし識無辺処を踏まえると、宇宙意識は悟りではなさそうな気がします。広大な意識、宇宙大の意識が識無辺処になるからです。

 

ところで識無辺処定の瞑想でも、意識は無限大であるとして瞑想をするそうですが、今ひとつよく分かりません。

 

 

無所有処(むしょうしょ)
無色界の第三天になります。
空間も意識も無限大とした次の世界は、何物も存在しないと意識する世界のようです。
これは先の識無辺処をさらに深めたもので、「識が無い」状態といいます。
ここまで来ると瞑想を少なくとも第四禅まで深めてこないと分からないのではないかと思います。あまりにも微細、極微細な世界です。

 

 

非想非非想処(ひそう-ひひそう-しょ)
舌を噛みそうな名称ですが、無色界の第四天になります。無色界の頂上であり、天界の最高位であり、世界の頂点です。ですので非想非非想処を有頂天(うちょうてん)ともいいます。この宇宙の最高位の世界が非想非非想処ということですね。

 

非想非非想処とは、「想いが無い(非ず)しかし『想いが無い(非ず)』ということは無い(非ず)」という意味だといいます。ややこしい説明ですが、要するに「限りなく意識がゼロに近い世界」ということでしょう。

 

意識が無い世界といえば、色界第四禅の「無想有情天」を思い出します。

 

無想有情天は完全に心が止まっているといいます。しかし物質としての身体があります。心は止まっても肉体がある存在、それが無想有情天でした。鉱物のような存在です。

 

ですが非想非非想処は、物質をともなわない「心」だけの存在です。その心自体が、限りなくゼロに近いわけですので、もはや「消滅寸前」といった感じではないでしょうか。

 

しかし非想非非想処は涅槃ではないということです。限りなくゼロ(消滅)に近くても涅槃ではないということです。おそらくもしも非想非非想処に達すれば、涅槃や悟りの境地として勘違いする人も出てくるでしょう。

 

非想非非想処と涅槃とについて、話しは次回に続きます。

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2012/07/17


非想非非想処と涅槃

無色界という心だけの「天界」。
なかなか理解が困難な世界でもあります。

 

無色界は四層から成り立っていて、

 

・空無辺処(くうむへんしょ)
・識無辺処(しきむへんしょ)
・無所有処(むしょうしょ)
・非想非非想処(ひそう-ひひそう-しょ)

 

この最高位が非想非非想処ですね。
そして、非想非非想処は、全ての世界、宇宙の中でも頂上の世界です。

 

しかし非想非非想処とは、限りなく意識がゼロに近い、消滅寸前のような状態の世界です。かすかに想念が動く世界ともいいます。

 

すごいですね。こういった心だけの世界で、なおかつ微細な動きしかしない世界、生命が存在するとは。驚くばかります。

 

ですが非想非非想処は「涅槃ではない」ということですね。
非想非非想処に達すれば、ほとんどの人は「これは涅槃だ。悟りの境地だ。解脱した」と勘違いするでしょう。

 

 

非想非非想処は説明できる世界、しかし涅槃は説明のできない世界

 

そもそも実のところ仏界や涅槃の世界ということは想像もできないと言われています。これはブッダがおっしゃっていることです。涅槃という世界は「存在するとも、存在しないとは言えない」といった大変、曖昧なことをブッダはおっしゃっています。

 

これは涅槃が幻(まぼろし)とか妄想という意味ではなく、言語や概念では説明できないことになります。実に涅槃とは、人間の思惟では推し量れない存在であり世界のようです。

 

事実、経典では涅槃は「無記(むき)」とされ、人間の思惟では理解のできない世界であるとブッダは語っています。

 

仏教の修行によって涅槃に到達できるのですが、その涅槃については言葉や概念では説明ができないということのようです。

 

非想非非想処は世界の頂点ですが、言葉や概念で説明でつきます。
ですので非想非非想処は涅槃ではないのですね。

 

ですが、非想非非想処を涅槃と勘違いしたり、されたりすることは往々にしてありそうです。

 

 

お釈迦さまの瞑想修行と非想非非想処

 

ちなみにお釈迦さまは当時、非想非非想処の瞑想を短期間でマスターしたことが記録に残っています。お釈迦さまは出家をして、当時、最高の瞑想(今でも素晴らしい瞑想でしょう)とされていた非想非非想処を学びに、アーラーラ・カーラーマ仙人の元に入門されています。いわゆる弟子入りです。

 

アーラーラ・カーラーマ仙人の元に弟子入りしたものの短期間で最高の非想非非想処に到達をされ、仙人から「ワシと一緒に弟子の育成をしよう。君はワシの片腕になってくれ」と頼まれたといいます。

 

けれどもお釈迦さまは、非想非非想処という瞑想の状態に入っているときは、煩悩が動かなくなっていても、いったん瞑想から出れば再び煩悩が動き出すことから、非想非非想処でも不十分と判断したといいます。

 

そうして、アーラーラ・カーラーマ仙人の元を去って、一人修行を始めたといいます。

 

話しがお釈迦さまの修行時代に及びましたが、非想非非想処は最高峰の世界です。ですが、この世界であっても涅槃ではない、解脱の世界ではないということのようです。

 

 

涅槃の世界〜滅尽定

 

涅槃は、説明ができない状態であって、宇宙の始まりと同じくらい理解できない世界だといいます。まったくもって仏教は、訳の分からないものをゴールに設定しているかのようですが、ゴールが想定できなくてもしかるべきプロセスを経ていけば涅槃に到達できる方法をお釈迦さまは残されています。この微妙なニュアンス、お分かりでしょうか。

 

ちなみに仏教が現在系の実践というのも、ゴール自体が説明できないことと関係しているとも思います。

 

ところで仏教では、非想非非想処の瞑想の上にさらに深い瞑想を発見しています。

 

それが涅槃の世界「滅尽定」です。
滅尽定に入ると、身体の素粒子レベルから一切の活動が停止してしまうといいます。
滅尽定に入るとダイヤモンドよりも固くなりカチカチになるといいます。

 

経典だったか経典の注記に、滅尽定に入ったお弟子さんのエピソードがあります。それは滅尽定に入ったところ、通りすがりの農夫がその姿を見つけて「こんなところに立派な石がある」と思い、丁度、薪を燃やすにピッタリだということで、あろうことか滅尽定に入っているお弟子さんの頭の上に薪を付けて火を燃やしたといいます。

 

数日後、農夫が戻ったところ、その石が動き出して、腰を抜かしたという話しが残っています。

 

滅尽定に入ると、一切が停止してしまうため、滅尽定にに入る前に「1週間後に禅定から出る」とセットしておかないといけないといいます。これは涅槃から戻ってこれなくなるか、停止した身体がダメージを受けるからでしょうか。

 

いずれにせよ滅尽定も凡人には理解の及ばない状態です。
無色界の非想非非想処すら理解し難い世界ですが、この世界は地獄から非想非非想処までの広大な世界になっているということですね。しかし涅槃はどこにあるのかどういう世界なのかは凡人には理解できないということなのでしょう。

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2012/07/18


無色界の生命の特徴

世界の頂点、無色界。
心だけの世界の無色界。
物質を伴わない、心・精神だけの世界があることに驚きですが、心や精神だけの生命が存在することにも驚きます。
想像が難しいですね。

 

無色界のことが分かりにくかったので、パーリ仏典の関連書を読みました。
手元に解脱道論というのがあります。解脱道論は、清浄道論の下地にもなった書籍です。解脱道論は漢訳されて中国にも伝来しています。解脱道論と清浄道論は実は大変よく似ているといいます。

 

その解脱道論には、無色界のことが少し詳しく書いてあります。
解脱道論が説く無色界の解説では、

 

・空無辺処(くうむへんしょ)
心が虚空。宇宙大の広さ。

 

・識無辺処(しきむへんしょ)
識に限りが無い大きさ。だから無辺なのでしょう。広大に広がる意識の状態のようです。

 

・無所有処(むしょうしょ)
識が消滅する様。

 

・非想非非想処(ひそう-ひひそう-しょ)
識が無くなった次の段階で、想を無くす。いわゆる滅尽という煩悩が消えたような状態。しかし涅槃では無い。

 

大体、こういう感じになります。
解脱道論の解説を読みますと、無色界が少しわかってきますが、それでも分かりにくいですね。

 

ですが、無色界の生命が存在するわけですので、この世は一体、どうなっているのでしょうか。

 

 

無色界の寿命

 

さて無色界での寿命ですが、これがまたすごい・・・。
もう圧倒的です。

 

・空無辺処(くうむへんしょ)
2万劫(86兆4000億年)

 

・識無辺処(しきむへんしょ)
4万劫(172兆8000億年)

 

・無所有処(むしょうしょ)
6万劫(259兆2000億年)

 

・非想非非想処(ひそう-ひひそう-しょ)
8万4千劫(362兆8800億年)

 

 

2万合〜8万4千劫の寿命です。
1劫 = 43億2000万年といいますので、
86兆4000億年〜362兆8800億年です。

 

362兆年!

 

想像すらできない茫然とする時間の長さです。
その長寿たるや圧巻です。

 

色界の第四禅天の広果天は300劫(12,960億万年)の寿命です。
解脱の手前にある浄居天は16000劫(約69兆1200億年)の寿命です。

 

浄居天の神々よりもはるかに長寿です。
卒倒しそうですね。

 

この世の最高位の生命「非想非非想処」になると362兆年も生きているわけですね。
しかし極微細な心の働きの状態で生存しているのでしょう。
煩悩が無いかあるかの微妙なかすかな状態で生存している世界です。

 

しかしこうして見てきますと、人間を支点にして、心が清まれば清まるほど寿命が長くなっていくことがわかります。

 

反対に心が汚れれば汚れるほど、寿命もまた長くなっていきます。地獄の生命の寿命も長いですね。もっとも動物は短命な傾向ですが。餓鬼も数百年以上生きています。

 

では悟ってしまうと、どうなのでしょうか?
単純に理屈で考えますと、宇宙と同じようで、始まりも分からなければ終わりもないような状態なのかもしれません。無限大や永遠という言い方は適切でないと思いますが、涅槃とは始まりも無ければ終わりも無い世界のような気がしてきます。

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2012/07/19