非想非非想処と涅槃

非想非非想処と涅槃

無色界という心だけの「天界」。
なかなか理解が困難な世界でもあります。

 

無色界は四層から成り立っていて、

 

・空無辺処(くうむへんしょ)
・識無辺処(しきむへんしょ)
・無所有処(むしょうしょ)
・非想非非想処(ひそう-ひひそう-しょ)

 

この最高位が非想非非想処ですね。
そして、非想非非想処は、全ての世界、宇宙の中でも頂上の世界です。

 

しかし非想非非想処とは、限りなく意識がゼロに近い、消滅寸前のような状態の世界です。かすかに想念が動く世界ともいいます。

 

すごいですね。こういった心だけの世界で、なおかつ微細な動きしかしない世界、生命が存在するとは。驚くばかります。

 

ですが非想非非想処は「涅槃ではない」ということですね。
非想非非想処に達すれば、ほとんどの人は「これは涅槃だ。悟りの境地だ。解脱した」と勘違いするでしょう。

 

 

非想非非想処は説明できる世界、しかし涅槃は説明のできない世界

 

そもそも実のところ仏界や涅槃の世界ということは想像もできないと言われています。これはブッダがおっしゃっていることです。涅槃という世界は「存在するとも、存在しないとは言えない」といった大変、曖昧なことをブッダはおっしゃっています。

 

これは涅槃が幻(まぼろし)とか妄想という意味ではなく、言語や概念では説明できないことになります。実に涅槃とは、人間の思惟では推し量れない存在であり世界のようです。

 

事実、経典では涅槃は「無記(むき)」とされ、人間の思惟では理解のできない世界であるとブッダは語っています。

 

仏教の修行によって涅槃に到達できるのですが、その涅槃については言葉や概念では説明ができないということのようです。

 

非想非非想処は世界の頂点ですが、言葉や概念で説明でつきます。
ですので非想非非想処は涅槃ではないのですね。

 

ですが、非想非非想処を涅槃と勘違いしたり、されたりすることは往々にしてありそうです。

 

 

お釈迦さまの瞑想修行と非想非非想処

 

ちなみにお釈迦さまは当時、非想非非想処の瞑想を短期間でマスターしたことが記録に残っています。お釈迦さまは出家をして、当時、最高の瞑想(今でも素晴らしい瞑想でしょう)とされていた非想非非想処を学びに、アーラーラ・カーラーマ仙人の元に入門されています。いわゆる弟子入りです。

 

アーラーラ・カーラーマ仙人の元に弟子入りしたものの短期間で最高の非想非非想処に到達をされ、仙人から「ワシと一緒に弟子の育成をしよう。君はワシの片腕になってくれ」と頼まれたといいます。

 

けれどもお釈迦さまは、非想非非想処という瞑想の状態に入っているときは、煩悩が動かなくなっていても、いったん瞑想から出れば再び煩悩が動き出すことから、非想非非想処でも不十分と判断したといいます。

 

そうして、アーラーラ・カーラーマ仙人の元を去って、一人修行を始めたといいます。

 

話しがお釈迦さまの修行時代に及びましたが、非想非非想処は最高峰の世界です。ですが、この世界であっても涅槃ではない、解脱の世界ではないということのようです。

 

 

涅槃の世界〜滅尽定

 

涅槃は、説明ができない状態であって、宇宙の始まりと同じくらい理解できない世界だといいます。まったくもって仏教は、訳の分からないものをゴールに設定しているかのようですが、ゴールが想定できなくてもしかるべきプロセスを経ていけば涅槃に到達できる方法をお釈迦さまは残されています。この微妙なニュアンス、お分かりでしょうか。

 

ちなみに仏教が現在系の実践というのも、ゴール自体が説明できないことと関係しているとも思います。

 

ところで仏教では、非想非非想処の瞑想の上にさらに深い瞑想を発見しています。

 

それが涅槃の世界「滅尽定」です。
滅尽定に入ると、身体の素粒子レベルから一切の活動が停止してしまうといいます。
滅尽定に入るとダイヤモンドよりも固くなりカチカチになるといいます。

 

経典だったか経典の注記に、滅尽定に入ったお弟子さんのエピソードがあります。それは滅尽定に入ったところ、通りすがりの農夫がその姿を見つけて「こんなところに立派な石がある」と思い、丁度、薪を燃やすにピッタリだということで、あろうことか滅尽定に入っているお弟子さんの頭の上に薪を付けて火を燃やしたといいます。

 

数日後、農夫が戻ったところ、その石が動き出して、腰を抜かしたという話しが残っています。

 

滅尽定に入ると、一切が停止してしまうため、滅尽定にに入る前に「1週間後に禅定から出る」とセットしておかないといけないといいます。これは涅槃から戻ってこれなくなるか、停止した身体がダメージを受けるからでしょうか。

 

いずれにせよ滅尽定も凡人には理解の及ばない状態です。
無色界の非想非非想処すら理解し難い世界ですが、この世界は地獄から非想非非想処までの広大な世界になっているということですね。しかし涅槃はどこにあるのかどういう世界なのかは凡人には理解できないということなのでしょう。