仏教

天界(六欲界)エントリー一覧

天界と五戒

さて、しばらく重たい話しが続いたので、ここからは明るい話しをしてまいりましょう。地獄・餓鬼・畜生という暗く重たい話しは、やはりずっと聞いていると気も滅入ってくることでしょう。また戒をしてください、施をしてください、と言われてもどこか心が暗くなってしまっているかもしれません。

 

ですが、天界の話しや天界へ行く方法を知ると、安心感が出てくると思います。それとそれほど神経質になって戒・施と取り組まなくても良いことも分かってくると思います。

 

時々、ブログにも書いていますが、あまり神経質になったり、萎縮するのは、実はよくありません。少しリラックスするくらいが丁度よくなります。地獄・餓鬼・畜生の話しを聞くと無意識のうちに恐怖心が出てきて緊張することもでてきます。

 

ですが、ここで整理しますが、地獄・餓鬼・畜生に行くのは

 

1.継続的に悪行をしてきた場合
2.心に強く焼き付くくらいの悪行をした場合
3.亡くなる前の心の状態が汚れているとき

 

に起こりやすいようです。
これを裏返しにとらえれば、リラックスして普通に生活をしていれば大丈夫であろうと思います。日々、念頭に置くといっても、いつも意識していると息苦しくもなりますので、戒を破らないような心の状態にしていくことが大切だと思います。

 

そして、天界へ行く方法こそ「五戒と布施を行う」ことになります。戒律と施行こそ天界へ転生するための秘訣になります。

 

もっとも仏教では、天界よりも涅槃に行く方法を説いて重んじます。

 

ですが五戒は仏道修行においても基本です。土台になります。
ところで五戒、「べからず集」になっていますので、これをひっくり返して肯定的な意味としても良いかと思います。

 

・命を大切にする (生き物を殺さない)
・必要なものだけで満足する (盗まない)
・TPOを踏まえて本当のことを言う (嘘を言わない)
・倫理道徳に根ざした恋愛をする (不倫をしない)
・正常な判断力を保つようにする (酒を飲まない)

 

上記の表現は五戒の本質を押さえた肯定的な表現です。このように理解していっても良いかと思います。日本人は「〜してはいけない」という表記を見るとどうしても抑圧になりやすいので、まずは肯定的な表記から理解していくのも良いかもしれません。

 

仏教では、原則的に無理や力みをともなって実践はしてまいりません。中庸というバランス感覚に基づいて行ってまいります。ですので、戒もそうだと思います。こう言っては失礼ですが、悪行に染まっている方がいるなら、戒も大変だと思います。自分が取り組むことのできるところから行っていくのが実際的になるでしょう。

 

仏教は「取り組み方」が大切です。中庸の姿勢がポイントになってきます。

 

話しが天界へ行く前に、今までの話しのまとめのようになってしまいましたが、仏教が説く天界は、大きく分けて3つあります。それは、

 

・無色界梵天
・色界梵天
・六欲界

 

です。通常、神さま、天上界というのは、六欲界の神さまになります。六欲界の神々を越えると、創造主レベルのより大きな神である色界梵天や、心だけの生命である無色界梵天となります。

 

原始仏典には、これらの神々の特徴や、さらに神々になるための具体的な方法も書いてあります。梵天になる「本当の方法」もパーリ仏典には書いてあります。こういったことを知りますと、神になる本当の方法やアプローチが分かり、大変勇気と希望も出てくるかと思います。知っていると知らないとでは天と地の開きもあると思います。

 

仏教が説く方法の中に葉、一般的に知られている方法や概念と、また違う点もあります。
梵天になるのは難しいのですが、しかし途中までは仏教の修行法と同じな部分もあったりします。
また先述の通り、神々になる方法が分かりますと、気持ちも明るくなりますし希望も出てくると思います。

 

こういった話しは追々、ご紹介してまいりたいと思います。

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2012/06/29


六欲界という天界

さて神々の世界(天界)は、

 

・無色界(梵天界)
・色界(梵天界)
・六欲界(一般的な神々)

 

大きく分けて三つの世界に分かれています。
今日お話するのは、天界の一番下にある「六欲界」という世界です。
一番下にあるといっても、人間界と異なり、快楽の多い世界になります。
六欲界といわれるのは、6つ階層構造から成る世界だからだそうです。その6つの世界は、上に行くほど徳と寿命が長くなり、力も強くなるようです。
では、以下に六欲界について解説してまいります。

 

 

1.四大王天
いわゆる四天王と呼ばれる神々です。
六欲界の一番下にいらっしゃる神々です。
・持国天・・・東方
・増長天・・・南方
・広目天・・・西方
・多聞天・・・北方
が四天王です。それぞれ住んでいらっしゃる地方があります。
修学旅行で東大寺へ行ったことのある方は、憶えていらっしゃるかもしれません。
四天王は、神々の世界の入門になります。

 

寿命は長く500年といいます。500年といっても人間界の時間に換算すればなんと900万年になります。人類の祖先といわれているアウストラロピテクスが誕生した時よりもずっと長い寿命を持った神々のようです。

 

 

2.三十三天(?利天:とうりてんとも言う)
三十三天は、?利天ともいいます。帝釈天がいらっしゃる世界です。三十三天は六欲界の二番目の天界になりますが、かなり広い世界のようです。
しかも二番目の世界といっても、すでに須弥山の頂上にあります。

 

三十三天の神々はパーリ仏典にもひんぱんに登場される神々でもいらっしゃいます。

 

ちなみに三十三天の神々の寿命は1000年といいます。人間界の時間に直すとなんと3600万年に相当するといいます。

 

 

3.夜摩天(やまてん)
夜摩天は、亡くなるまでずっと快楽を受け続ける神々でいらっしゃいます。
天界の三番目に位置します。

 

夜摩天の寿命はさらに長く、2000年といいます。これまた人間界の時間に換算すると、1億4400万年になるといいます。

 

 

4.兜率天(とそつてん)
六欲界の4番目に位置する天界が兜率天です。
夜摩天と似ていますが、兜率天は「喜」をずっと受けているといいます。
ちなみにお釈迦さまの前世が兜率天であったといいます。

 

また仏道修行をされた方は、兜率天に多くいらっしゃるといいます。
お釈迦さまの母親のマーヤ夫人や、お釈迦さま在世当時の在家仏教徒も現在、兜率天に多くいらっしゃるといいます。仏道修行を志す方は、兜率天の加護を願うと良いかもしれません。

 

ちなみに日本の空海も兜率天へ転生することを言われていましたね。

 

兜率天の神々の寿命は、4000年です。人間の時間に換算すると5億7600万年です。

 

 

5.楽変化天(らくへんげてん)
六欲界の5番目の天界が化楽天です。化楽天(けらくてん)ともいいます。
この天界では神通力を発揮して、自分が欲するものを自在に作るといいます。配偶者まで作ってしまうといいますから、人間界でいうところの仙道の達人といったところでしょうか。

 

楽変化天になりますと寿命は8000年になり、人間界の時間に直すと、23億400万年になるようです。途方もなく長い寿命になってきます。

 

 

6.他化自在天(たけじざいてん)
六欲界の最上の6番目にある天界が他化自在天です。
この天界では、他化自在天が望むものを従者が意のままに出してくれて、それを楽しむことができるといいます。六欲界では最上の天界ですので、何事も思うようになり、快楽の極みを享受し続けるようです。

 

他化自在天の寿命は、16,000年になるようです。ちなみに人間界の時間に換算すると、92億1600万年です・・・。

 

 

いかがだったでしょうか。
寿命も長く、快楽の多い世界です。
では、次回はより具体的に六欲界の世界をご案内いたします。
お釈迦さまが説かれる、これが本当の神々の世界(六欲界)です。

 

つづく

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2012/06/30


六欲界(天界)での神々の生活

さて六道輪廻のうち、幸福に満ちた天界という神々の世界のご案内です。
天界のうち「六欲界」と言われる世界の説明です。
説明といいましても、パーリ仏典をはじめ論書に書いてあることを要約してブログに書いてまいります。

 

おさらいですが、「六欲界」とは天界の一番下にある世界になります。一番下といいましても神さまの世界です。六欲界のほかに、色界、無色界という神々の住む世界があります。

 

 

無色界・・・物質を伴わない「心」だけの存在 ← 無色界禅定に達すると入れる(転生できる)

色界・・・物質を伴いつつも、禅定と呼ばれる深い統一感と気楽に満ちた世界 ← 色界禅定に達すると入れる(転生できる)

六欲界・・・物質を伴い、通常の生活を営む神々の住む世界 ← 五戒・十善戒を守り、施行をしっかり行うと入れる(転生できる)

 

 

このようになっています。
六欲界は、善行(五戒や十善戒を守り、施行)をしっかりと行うことで、人間も転生できる世界になります。しかし色界や無色界は、禅定といわれる深い瞑想の境地に達しないと入ることができません(転生ができません)。

 

坐禅を何故行うのかといえば、心を禅定という特殊な状態にしたいからです。禅定に入ると、心は統一感と喜楽の状態になるといいます。スピ系で言われる「ワンネス」という状態です。これが色界や無色界の心になります。

 

六欲界は、平たくいいますと「プラス思考」の塊です。常に楽しく、ハッピーで、喜びにあふれています。しかも落ち着いています。人間界と同じように、生活の営みをしているようです。

 

 

六欲界の世界とは

 

六欲界の天界の幸福感は相当なもののようです。人間が味わう幸福が水滴とするなら、六欲界の幸福感は大海のようなものだといいます。想像できますか?極上の幸福感でしょうね。想像を絶する幸福感だと思います。そんな幸福感に満ちた状態が900万年以上も続くわけですね。

 

美しい風景で、池、山々も息を呑むほどの美しさだといいます。宝石がちりばめられていたりして、見るもの聞く物の全てが美しさを放っているようです。住居も光り輝く宮殿であり、全ての天子は20才、天女は16才のままで、その美しさは死ぬまで衰えることは無いといいます。

 

これらの美しさは、全て、善行による結果です。
善行に励むことで、このような美しく若々しく、絶頂の幸福感が得られるようです。
善行とは、五戒や十善戒を守ることと、施しを行うことです。この二つをしっかりと守って行うことで、天界という極楽の世界へ転生できるというのですね。

 

そうして、過去世の善行の大きさに従って、四大王天、三十三天、三十三天、夜摩天、兜率天、楽変化天、他化自在天という境涯に転生するようです。

 

ですので、
1.戒・・・五戒や十善戒
2.施・・・ほどこし

 

この2つを心がけるだけで幸福な輪廻の旅ができるというわけなんですね。
反対に、この2つを疎かにすると、地獄餓鬼畜生といった暗い世界へと行ってしまうようです。

 

ちなみに、

 

3.修・・・ブッダのダンマを実践する

 

というのが加わると、在家仏教徒の修行となり、悟りに至るチャンスも出てきます。
「戒」と「施」は仏教徒以外の方でもできる幸せになれる方法です。これに「修」が加わると、仏教徒の実践となるということです。「修」とは八正道の実践です。「気付きの瞑想」もそうです。

 

 

六欲界の日常生活

 

話しを戻しまして、そうして神々は、食事も取ります。食事といっても人間のように動植物を食べるのではなく、精神的なエネルギーです。実は仏教では食事に4種類あるとしています(四食【しじき】といいます)。段食(だんじき)というのが人間が主に食べる食事で、この他に精神的な食事が3種類あります。神々は、こういった精神的なエネルギーを食事にしているようです。

 

このエネルギーは、楽しむことで生じるようです。ですから、神々は何を行うことにしても喜楽の気持ちで行うようです。とことん楽しんで、喜びに満ちて、幸せな気分で生活することで、どんどんエネルギーが出てきて、お腹も一杯になるようです。

 

こういう精神的なエネルギーを生み出して、食べていますので、神々は排泄しないようです。大便や小便が作られないといいます。女性の場合、生理も無いといいます。ちなみに男性の神は精子も作られません。で、女性は妊娠もしないのですね。ですが、性行為はできるようです。

 

と書きますと、「え?じゃあ神々はどうやって誕生するのですか?」と思うかもしれません。実は、神々の場合、化生(けしょう)といって、突然、パっと誕生します。母親の膝の上に、突然、パっと誕生するといいます。
そうして男性は20才、女性は16才になり、そのまま900万年(人間界の時間に換算)以上の長寿を生き続けるといいます。

 

人間界と同じように、物を作ったり、販売したり、勉強をするとかの普通の生活があるようです。
中には、死ぬまで遊び続ける神さまもいらっしゃるようです。

 

神々は、楽しむことに疲れたり、遊ぶことが億劫になり出すと、死期が近くなるようです。死期が近づくと、それまで美しかった容姿に衰えも見られ、光も弱くなり、服にもほころびが出てくるようです。そうして死期が来ると、パっと消えて、どこか別の生命に転生していくようです。

 

ちなみに17世紀にヨーロッパで活躍したスウェデンボルグは霊界を幻視していますが、これがリアルであるなら天界を幻視したものと思われます。

 

話しはまだまだ続きます

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2012/07/01


天界へ生まれ変わる方法

前回で説明した通りこのように六欲界という天界は、人間の世界と似ているところがあります。
こういった事実が分かりますと、希望のある一つの推測が出てきます。それは何かといいますと、死後、六欲界の世界に転生するためには、人間界で生きている現在を、「天界と同じような心持ちで生活すればよい」ということです。

 

なぜなら、心の状態がそのまま自分の境涯にもなるからです。
心の状態にふさわしい環境が現実になるからです。
ですから、天界の神々と同じような気持ちをいつも持ち続けるなら、死後、天界へ転生する可能性が高くなるでしょう。

 

神々は、慈愛や博愛にあふれ、上品で物静かで、いつも愉快で微笑んでいます。言葉も綺麗で、行動もなめらかで、性格も温厚。生命への慈しみがあり、足ることを知って必要以上のものは求めない。不倫などもってのほかで、嘘を付くことはありません。のどかで、やさしく、丁寧でうるわしい状態の日々を過ごされていると思います。

 

ですから、人間の時代から、こういった徳性を身に付けるように日々、生活をしていますと、神々と同じ境涯になれるのではないかと推察します。

 

反対に、イライラ、焦り、下品、汚い言葉、がさつな行動などは、餓鬼にそっくりです。餓鬼は一言でいえば「卑しい」ですので、人間の時代から卑しい言動が多くなりますと、死後、餓鬼界に転生する可能性も出てくるのではないかと思います。

 

ですから、できるだけ上品に、品性を大切にして、また品性のある生活を心がけるのが大切ではないかと思います。五戒や十善戒や施行の中身は、上品ですよね。五戒や十善戒や施行は、品性をよくする実践項目でもあります。

 

事実、天界へ生まれ変わるためには「五戒と布施」になります。このことは既にこちらでも書きましたが、戒律と施行は、幸福な境涯となるためのシンプルな秘訣であります。この二つを守るだけで、幸せな生き方ができるようになります。

 

そして仏教では、神々の天界をさらに超える究極の幸せである「涅槃」を目指します。仏教の特徴とは、最高の幸せである「涅槃」を目指す点にあります。

 

ですが、その道中、少なくとも神々の境涯を生きるようになります。

 

 

化生(けしょう)する生命は前世を記憶している

 

神々は、化生(けしょう)で誕生しますので、人間のように胚から成長することがありません。ですので、いきなり脳もありますから、前世を憶えています。

 

実際、「天宮事経」というお経もあり、ここにはモッガラーナが天界を訪問し、神々に「あなたはどうして神々になれたのですか?」とインタビューをして、その言行がお経として残っているほどです。

 

ちなみに化生として誕生するのは、地獄、餓鬼もそうです。ですから、地獄の亡者も餓鬼も、ともに前世の記憶があります。

 

話しはそれますが、餓鬼は何故、自分が餓鬼になったのかが分かっているため、時々、人間にもお説教をするそうです。「善行をしてくださいよぉ〜、善行しないと餓鬼になりますよぉ〜」と言っているのかどうか分かりませんが、善行のおすすめを語る餓鬼もいるようです。

 

話しを戻しますが、神々の世界は、まさに幸福の極地といっても良い世界です。
素晴らしい世界ですね。

 

 

天界の世界の問題点

 

しかし。

 

神々の世界にも一つだけ問題点があります。
このことは、実はあまり知られていないかもしれません。
神々は大変優れた生命ですが、唯一、問題点があります。

 

そうしてこの問題点は、「何故仏教が必要なのか」ということと大いに関係があります。

 

この続きは次回に書きます。
必見かもしれません。

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2012/07/02


天界の悩み?

さて、天界の話しの続きです(こちらより)。
天界は、六欲界、色界、無色界の3つの構造世界になっていて、そのうちの六欲界は六層になっています。六欲界は、天界で一番下ですが、一番下といっても、人間が感じる幸せとは桁違いの幸福感に包まれる世界です。

 

人間が感じる幸福感が「水滴」とするなら、六欲界の幸福感は「大海」といいますので、想像を絶する幸福感を享受し続けるわけですね。しかもその時間も900万年〜92億1600万年です。気が遠くなるような長期間、幸福感にひたっておられるわけですね。

 

苦あれば楽ある人間の世界と比較すれば、格段に幸せな世界ですね。浄土宗の極楽に近いところもあります。ちなみに浄土宗の極楽は、六欲界の天界ではなく、色界の最高位にある浄居天(じょうごてん)を言っていると思います。色界の天界については、またいずれ説明いたします。

 

六欲界の天界は、人間界の幸福感とは比較にならないほど幸せ一杯の気持ちなわけですね。しかも、なんと、この幸福感がほとんど途切れること無く、永続するわけです。朝起きてから、夜、床につくまで、ずーっと幸せな気持ちで一杯で、これが900万年以上も続くわけですね。

 

 

天界はどこにある?

 

ところで天界はどこにあるかといえば、地上から約50m高さから存在するようです。こちらではこの世界がどうなっているのかをご説明しましたが、須弥山という目に見えない高山があるようです。

 

この地球の地表には、人間、畜生(動物・虫)、餓鬼の3つの生命が存在しています。餓鬼は、通常、人間の目には見えませんが、幽霊や浮遊霊、地縛霊などといった名称で呼ばれていて、時々、人間にも目撃されたり、写真に写ったりしてテレビでも紹介されてお茶の間を賑わすことがあります。

 

神々が住んでいらっしゃる天界は、地表50m以上からあるようです。古い神社や自然の神を祀る場所に、高山がありますが、これは単なる偶然ではないかもしれません。古代の人々が直感で感じ取ったとか、神々とコンタクトをしたのかもしれませんね。

 

ですが、神々の中には、地表にテリトリーを作る方々もいらっしゃいます。このことは、実は、「ブッダ最後の旅」としても有名な「大パリニッバーナ経」に出てきます。神々が地上に降り立って、そこに集っている姿をお釈迦さまはご覧になります。神々が降り立つ場所は、力のある人間の王が統治して繁栄する国を作るといったことをお釈迦さまは述べています。⇒ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (ワイド版岩波文庫)

 

関係ありませんが、日本はイザナギ・イザナミが作ったとされていますね。古事記でもおなじみの国作りの神話ですが、この神話はあながち嘘ではないかもしれません。神々が降り立ったこの日本という国が、このように繁栄しているのも、「ブッダ最後の旅」を読みますと、なんとなく納得してしまいます。

 

 

天界の悩み

 

話しがそれましたが、天界とは、意外と身近にも存在していますが、素晴らしい世界ですね。六道輪廻で生命が輪廻転生するなら、天界だけを巡っていたいものです。そうすれば輪廻も怖いことはないでしょうしね。永久に天界を輪廻し続けることができれば、「勝ち組輪廻」かもしれません。
※しかし天界だけを輪廻することは無理です。「勝ち組輪廻」は理屈の上からもできません。このことは近いうちにお話しいたします。

 

しかし、この素晴らしい天界にも問題があります。神々の悩みといってもよいかもしれません。
それは何かといいますと、なんと「善行がしにくい」ということなんです。

 

「え!?」と思うかもしれませんが、そうなのです。

 

神々は、幸せモードの心に固定されていて、その心が人間のようにダイナミックに動くことはないようです。ですので、人間のように自発性を発揮して、善行に励んだり、取り組むことが大変難しいようです。ひたすら幸福感を受けるだけであって、自分から善行をすることが難しいようなのです。神々は素晴らしい方々ですが、反面、心を自在に変化させて自発性を発揮し、善行をするのが困難といった側面があるようなのです。

 

このとは、人間の体は固く、伸ばしたりすることは人体の構造上、容易ではないことに似ているといいます。人間の体はヨガなどをすれば間接も柔軟になりますが、一般的には身体は固く、簡単に変化させることはできません。

 

神々は、身体は自由自在に伸ばしたりすることができるようですが、心がプラス思考で固まっていて動かすことが難しいようなのです。人間と正反対ですね。人間は心を自在に変化できますが、身体は自由が効きません。神々は身体は自由に変化できても、心が自由に変化しないようです。

 

それと黙っていても極上の幸福感に満たされますので、あえて善行しようとする気持ちもわきにくいのではないかと推察します。

 

天界での生活は受け身が多くなり、単調で同じことを繰り返す退屈な生活と評する方もいるようです。定時に出勤して定刻に帰って日々同じ生活をするパターンに、どことなく似ていると言われる方もいます。

 

天界は素晴らしい世界ですが、このように心の自由が利かない側面もあるようです。
こういう特徴がありますし、寿命が来ればいずれまた別の生命に転生するわけですが、その時、天界に再び転生できる保証はないようです。

 

天界の生活では善業エネルギーを蓄積する(善行をする)ことはやりにくく、善業エネルギーを消費することだけになりがちですので、よほどの善業エネルギーが無い限り、天界への再生は困難な印象です。現実は、人間以下の生命に転生することになることが多くなると思います。

 

話しはまだまだ続きます。

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2012/07/03


人間は特別な生命

天界の神々はプラス思考で固定されがちで心を自在に動かしにくく、しかも極上の幸福感を受け続けるので、自ら善行をするのが難しいようです。このことは前回お話しさせていただきました。

 

ところで、心を自在に変化できないのは、地獄や畜生、餓鬼も同じといいます。実は、唯一、人間だけがダイナミックに心が変動する、心を変化できる生命になるようです。このことは、実は非常に重大なことであったりします。

 

心を自在に変化させること、たとえば自発性を発揮したり、意思をもって行動すること、あるいは感情を動かすことは、人間である私たちには当たり前のことなです。しかし、人間以外の生命では難しいことのようです。

 

ですので、善行ができるのは原則的に人間だけになります。仏道修行ができるのも基本的に人間だけになります。反面、ダイナミックに悪業を積むことができるのも人間の特徴であったりもします。

 

いかがですか、これを聞くと相当、驚きませんか?そうして、人間という生命の特殊性が見えてきませんか?私たち人間は何かを見聞するにつれて、泣いたり笑ったり、怒ったり喜んだりします。喜怒哀楽とも申しますが、この感情の変化をダイナミックに起こすことができるのは唯一、人間という生き物だけになります。

 

ですので、以前、ご紹介しましたが、畜生(動物・虫)に転生すると人間に生まれ変わることが難しい、となるわけです。動物になると、善行する気持ちが出てこないからです。むしろ弱肉強食で食うか食われるかの世界ですので悪業を積みやすくなるのが畜生の世界です。動物から人間に転生するのが難しいのもうなずけます。

 

餓鬼もそうです。餓鬼は、自分の前世を知っていますので、何故、自分が餓鬼になったのかを知っているそうです。動物と違って、思考が働きますので、「ああ、善行をしていれば、善行をしていればこうならなかったのに・・・」という気持ちにもなるようです。ですが、思っても気持ちがともなって行動ができないため、人間にもすがったり、時には「このようになってはいけませんよ、善行してくださいねえ・・・」お説教もすることが出てくるようです。

 

ちなみに地獄の生命は、ひたすら「熱い熱い」「痛い痛い」という苦痛の感覚しかありませんので、ほとんど思考も働かないようです。

 

そうして神々は、これらとは正反対で、ひたすら「楽しい楽しい・・・」という感覚を享受し続けるため、自発的に善行をする気持ちもでなく、またしにくいといいます。

 

つまり、六道の生命のうち、人間以外の生命は「業」というエネルギーを消費続けるだけになるわけです。人間だけが意思を使って業を積むことができるトリッキーな生命ということでしょう。実は人間は特殊な生命だったりします。

 

天界は素晴らしい世界ですが、善行を自発的に行うのが大変のようです。なかなかできないといいます。ひたすら善業のエネルギーを消費し続けて、そのエネルギーが切れたら別の生命に転生。これが天界の法則のようです。バッテリーが切れたら別の生命に転生するようでもあり、天界とは実に、一時的に快楽を享受できる世界のようですね。

 

しかも、天界の次に果たしてもう一度天界に転生できるかどうかの保証はありません。

 

ですので、この六道輪廻からの脱却というのが、仏教はテーマにもするわけですね。次は何に転生するか分からないロシアンルーレットのような輪廻転生です。不確実性な要因があり過ぎます。ですから、仏教は、この輪廻の鎖を断ち切って涅槃を目指すのも宜(むべ)なるかな、といったところでしょう。

 

お釈迦さまの卓見も実はここにあると思います。
天界に生まれてどんなに極上の幸福を享受できても、いずれその幸福をサヨナラするときがやってくる。そうして人間に生まれ変わって善業をなして、また神々に転生するという堂々巡りによってしか、実は幸運を享受できないという事実。

 

輪廻の束縛を離れたいというのもうなずけます。

 

話しはさらに続きます。

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2012/07/04


天界だけを輪廻したい〜神々の計画

さて天界の悩み、それと人間の特殊性を前回、前々回とご紹介しました。

 

天界は、五感を楽しませる快楽が極まっているのですが、反面、心を変化させにくく、善行がしにくいといった問題点もあったりします。このことは、人間が身体を自在に変化させることが難しいことと似ているとも説明いたしました。

 

また前回「勝ち組輪廻」と半ば冗談に書きましたが、実は、天界だけをグルグルと輪廻し続けることは不可能になります。なぜなら、天界では善行を積むことが難しく、エネルギー(善業)を消費するだけになるからです。

 

次にもう一回天界に転生したいなあ、と望んでも、善業のエネルギーが無ければ、次は人間以下の生命に転生することになります。飛行機の燃料と似ていますね。この燃料タンクの大きさは、善業の大きさになります。

 

人間が積める善業パワーは、パーリ仏典を読んでいますといくつかの事例とともに分かってきます。具体的なことは中部経典の「施分別経」に詳しいです。

 

人間の時代に、阿羅漢(ブッダ)にサジ一杯の供養(お供え)をしたところ、その功徳によって、7回、天界を輪廻し続けた方もいらっしゃいます。ですが、結局、善業のエネルギーが切れて、人間に転生しています。

 

あるいは、人間の時代に、同じく阿羅漢(ブッダ)に供養をしたところ(ケチな心を出して供養したそうです)、天界へは転生できなかったものの、その善業によって7回、大富豪の人間として生まれたといいます。しかし最後の7度目の大富豪の時代にケチな心を起こして殺人までしでかしてしまい、結局、地獄へ行ってしまった方もいらっしゃいます。

 

話しが少しそれていますが、人間の中にも善業パワーによって、幸運を享受している方々も多くいますよね。ただ座っているだけでお金がもらえるタレントとか、不労所得で生活が出てきしまっているとか、明晰な頭脳で社会に役立つ発見をするとか、こういう恵まれた方も人間はいます。

 

恵まれた人間もまた、前世のどこかで大きな善行をしているわけなんですね。例外はありません。皆さん、善行を為しています。そうして善業を重ねることができるのは「人間の時代」に限られてくるといっても過言ではないということです。

 

天界は、善業のエネルギーチャージがし難いというデメリットがあるようなのです。善業のエネルギーが切れたら、「ハイ、さよなら」する世界というわけですが、まさに「燃料切れ」といった表現がピッタリだと思います。しかも天界ではない世界(人間界以下)に行ったなら幸せになれる保証はありません。

 

ですので、実は神々の中には、善業エネルギーをチャージするために、人間界へ転生する方々もいらっしゃるようです。人間だけがダイナミックに善行を積むことができるからです。善行を積もうとして、あえて人間に転生しようとする神々もいらっしゃるようです。

 

神々の中には特殊な方法で自殺をして、人間に転生してくる方もいるといいます。神々は寿命が長いですので、エネルギー切れになる前に自分で命を絶って、そうして人間に生まれ変わって善行を重ねるようです。神々の中には、こういった方々もいらっしゃるようです。

 

大慈善家、良心的な本物の宗教家、あるいは一般人であっても常に人のお役に立てる志で生活している方となって、人間界で善行に取り組んでいるかもしれません。

 

しかし、このように燃料補給のために人間に転生してくるといっても、人間というのは心がいつどのように動いて悪業するか分からない不確実性な生き物です。ですので、善業の燃料を補給しようと思っても、おっとっとと、ヤバい、誘惑に負けて不倫してしまった、酒飲んで悪酔いして公園で裸になって逮捕されてしまった(某ジャーニーズタレントのように)などの悪業を積むリスクも当然出てきます。

 

なかなか思うようにならないのではないでしょうか。相当に心が強くないと、計画通りに人間時代で善業のエネルギーチャージは難しいかもしれません。第一、計画通りに物事は進まないことのほうが多いものです。想定外のことが起きて頓挫することも少なくありません。

 

しかし天界の中にも善業を積める場所もあるようです。
人間にも例外がある通り、天界にも例外があるようです。
また、仏道修行の場合、「どんなことがあっても人間と神々の世界を行き来する」という特別な切符を手に入れることができる裏技もあったりします。

 

天界でも善業が積める場所とは?
人間と天界を行き来できる裏技とは?
次回、その次と二回にわたってご説明いたします。

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2012/07/05


預流果〜人間と天界を行き来する仏道修行者

神々の中には、善業を積むためにあえて自殺して人間に転生して来る方がいらっしゃることは前回書きました。しかし、これはなかなか難しいかもしれませんね。

 

ですが、仏道修行の場合、人間と天界を必ず行き来できる裏技があります。
裏技というよりも、本当は正統的な方法なのですが、奇をてらって表現をしてみました。

 

それは、人間の時代に仏教を修行して、預流果(よるか)という段階になることです。
預流果(よるか)。
はて?なんでしょう?
はじめて聞く方もいらっしゃるかもしれません。

 

預流果(よるか)とは、悟りの初門に入った聖者をいいます。聖者さまなんですね。
聖者といいましても、実は、ふつーの人間と表向きはそう変わらなかったりします。

 

ですが、預流果になりますと、明らかに内面性が異なっています。
それは、自分へのこだわりがサッパリなくなり、仏道修行が唯一悟りに至る方法であることを確信し、迷信や妄想の類に振り回されることが一切なくなる点です。
このことを「三結(さんけつ)が切れた状態」ともいいます。

 

三結とは、有身見(ゆうしんけん)、疑惑(ぎわく)、戒禁取(かいごんしゅ)をいいます。
悟りに至るために無くすことが必要な煩悩の最初のものです。
三結が無くなると預流果とう聖者になるといいます。

 

また預流果になると、仏教への気持ちが不動となって、心も穏やかになって、嫉妬心とか、そういう下劣な心性はかなりなくなっているといいます。あと、大変、正直になって嘘は絶対に付けなくなるといいます。五戒も当然、当たり前のように守ることになるそうです。

 

五戒を絶対に守るようになりますので、当然ながら死後、天界へ転生するのもうなずけますね。
預流果になりますと、最低でも人間と天界を最高で7往復するよそうです。つまり最高で14回転生するわけですね。その14回の転生の間に、究極の状態である「涅槃」に入ってしまうそうです。

 

ですので、預流果とは、いずれ涅槃に行くことが確定している生命をいいます。涅槃に行く間に最高で14回、人間や神様に転生していくということですね。

 

なんだか超ラッキーです。
預流果になりますと、いずれこの輪廻からも脱却できるわけなんです。
しかも最後には涅槃へゴール。
本当の勝利者ですね。
約束された未来なわけです。

 

ですので預流果になりますと不退転(決して挫折しない)になるというわけです。

 

仏道修行では、預流果を目指すのも、こういった理由です。預流果になりますと安泰ですね。

 

ですが、預流果になりましても、怒ったり、者を欲しがったりはしますので、見た目はふつーの人に見えてしまうと思います。日本の仏教界には、預流果になった方はいないと思いますが、東南アジアの仏教界には、預流果になった方はいらっしゃいます。

 

人間と天界を行き来できる裏技、それが預流果(よるか)になることです。
しかも輪廻の鎖を断ち切って、14回の転生の間に、涅槃に入ってしまう方です。
仏教の修行が素晴らしいと思うのは、輪廻の鎖を断ち切って究極の涅槃に行けるからですね。
本当に素晴らしいと思います。

 

順番が逆になりましたが、次回は天界でも善業が積める場所についてお話しいたします。

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2012/07/06


チューラーマニとスダンマ〜天界で修行できる特別な場所

今日は、天界で善業を積むことのできる特別な場所があることをご紹介いたします。これもパーリ仏典やアビダンマッタサンガッハに書かれていることです。

 

 

天界でも善行ができるチューラーマニ〜信仰心の篤い神々が供養会を行う

 

人間にも例外がある通り、天界にも例外があるようです。実は、神々の世界にも善行(仏教の修行)ができる場所があるようです。

 

これは三十三天にある「チューラーマニ」と「スダンマ」という場所といいます。チューラーマニとは、仏舎利塔になるようです。仏舎利塔とは、タイやミャンマーなどの仏教国にたくさんありますよね。インドにもありますが、ブッダの遺骨を祀った仏塔です。神々の世界の三十三天のチューラーマニという場所には仏塔があって、ここでは善行を積むことができるといいます。

 

チューラーマニの仏塔は、エメラルドで出来ていて、ここにはブッダが菩薩時代だった頃の髪の毛と、右の犬歯が安置されているといいます。信仰心の厚い神々は、快楽を享受する代わりに、ここに参拝したり、花などを供養して善行を重ねるそうです。

 

ちなみに仏教的な善行を波羅蜜(はらみつ)といいます。天界の神々の中には、ブッダを尊崇し、供養をすることで波羅蜜を重ねる神々がいらっしゃるようです。

 

人間界でも、ブッダの徳を偲んで行う「灌仏会(かんぶつえ)」は有名ですね。花まつりとか、ウェーサーカ祭ともいいますが、天界でもチューラーマニといった供養会を行っているようです。

 

ですので、人間界で行っている各種の供養会も尊いですよね。各種寺院では、年中行事として仏徳をしのぶ行事を行っています。これらは実は尊い行事であろうと思います。天界でもチューラーマニという所で同じ事をしていますので。

 

もしもお近くの寺院でのこれらの年中行事をされているなら、参加されることをおすすめいたします。
そうして善行を重ねると、よりよくなると思います。

 

 

スダンマ〜仏法の説法が行われる公会堂

 

またスダンマというのは、仏法の説法が行われている公会堂のようです。スダンマの中央にはパーリッチャッタカという巨大な樹木があり、芳香をただよわせているようです。スダンマの公会堂の真ん中には、説法の席があって、周囲には帝釈天をはじめとした三十三天の神々が座ることのできる座席が並んでいるようです。

 

ちなみにお釈迦さまは神通力でこの三十三天に赴き、スダンマにあるパーリッチャッタカの花を摘み、ウルヴェーラーにいたカッサパ三兄弟に見せて、神通力比べをしたことが律蔵「大品」に載っています。

 

話しを戻しますが、説法の時間が来ると、帝釈天が法螺(ほら)を吹き鳴らし、天界の町中に響き渡るようです。これを聞きつけた神々のうち、仏法を聞きたい神々は、スダンマに集まるようです。

 

ちなみに説法をされるのは、六欲界の神々ではなく、色界から降りてきたサナンクマーラという梵天が行うようです。もっとも時々、帝釈天や、その他の神々も仏法を説くようです。

 

このように、スダンマでは仏法のお話が行われ、これを拝聴した神々の中には修行される方々もいらっしゃるのかもしれません。

 

人間界であっても、なかなか仏教に興味を持たれることは少ないようですが、このことは神々の世界でも同じかもしれません。神々の世界は、五感を満足させる極上の快楽を受けることができます。人間の快楽が水滴であるなら、神々の快楽は大海のようだといいますので、もしかすると仏教に興味を持たれる神々は少ないのではないかと想像もされます。

 

享受できる幸福感に満足して、「充分」という気持ちになるやすいのは、人間以上ではないかと推察いたします。人間でも幸福感一杯のときは、一生懸命に勉強したり自己の向上を目指そうとは思いにくいと思います。想像になりますが、神々の中で自己鍛錬に励む方々は多くはないかもしれません。いえいえ、これは私の想像ですので、実際と違っていたら大変失礼になりますね。※神さま、間違っていたらごめんなさい。

 

ですが、天界にも仏教を信仰したり、仏法が説かれる場所があるということですね。

 

あとこれも想像ですが、仏教以外にも宗教や信仰があるかもしれません。心を成長させようとする教えとか思想、そういった研究なども行われているかもしれません。

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2012/07/07