輪廻転生はゴールの無い生命のRPG(ロールプレイングゲーム)

輪廻転生はゴールの無い生命のRPG(ロールプレイングゲーム)

このように生命が輪廻する六道輪廻の世界を垣間見てきました。地獄から餓鬼、畜生、阿修羅そして人間、天界(六欲界色界・無色界)。

この六道をグルグルと回り続けているのが生命です。生命はゴールの無い輪廻転生RPG(ロールプレイングゲーム)のようです。

ゲームのRPGでは、主人公の勇者ロトは、モンスターを倒して経験値やMPをアップさせて、最後にはラスボスを倒してハッピーエンドで終わります。最後にファンファーレが流れてゲーム終了。

主人公のHPを999までマックスに高めたりしてラスボスを倒して万感の思いにふけったりもします。

しかし人生は、終わりの無い、ゴールの無い輪廻転生です。

最高の神・梵天になっても輪廻転生をする

善行を重ねて天界へと人間界を往復し、色界梵天や、無色界梵天の最高位に達しても、善業パワー(HP)はだんだんと減っていって、やがて人間以下に再び転生していきます。

善業(HP)は減っていますので、再び主人公は善業(HP)の経験値を積んでレベルアップしていきます。

仮にレベル99のHP999になって、再び梵天になっても、善業が無くなればエネルギー切れで、また人間以下に戻って経験値を積んで・・・

この繰り返しです。

隠し部屋的な「浄居天(じょうこてん)」に行けば、死後、涅槃に入れます。しかし浄居天に入る方法は仏法によるしかありません。普通に輪廻をしていれば、浄居天を発見しても、その部屋に入るカギが無いため入れません。

天界の幸運、幸福は人間の何千倍という大幸福感なわけですが、いつか天界での寿命も尽きて、善業も減って人間へ逆戻り。

人間となって苦楽を味わいながら善行ができればいいのですが、実際は、悪心を起こして天界どころが地獄へ行ってしまうことも出てくるでしょう。

輪廻転生は不確実性

不確実性な輪廻。予想外、想定外の出来事に遭遇して輪廻を続けます。しかも厄介なことに、業(カルマ)は七分割されて、七世にわたって影響も及ぼします。

どこにトラップがあって、どんなカルマの結果を受けるか分からない人生。こうした輪廻をグルグルと無限に近い数、続けていると、ブッダを指摘します。

ため息の出そうな輪廻の旅です。

ですから仏教では、輪廻の鎖を断ち切り、涅槃へ赴くことを提唱します。

輪廻転生を説かない仏教圏もある

輪廻の話しは、仏教圏でも説かないところもあります。また説かない比丘・僧侶もいます。

タイは国家的に仏教が定められている影響もあって、生まれ変わり(輪廻転生)を説かないところもあります。輪廻を別の意味に置き換えて説明することもあります(転生を遠回しに否定もします)。

一方、ミャンマーでは輪廻転生が前提です。生まれ変わりは当たり前として説いていく傾向です。

このように国のよっても輪廻転生の扱いは違ってきます。

終わりの無い輪廻転生だから解脱が勧められる

しかし生まれ変わりは実在していると思います。転生が無いとするなら、この人間、生命の個性や違いをどう説明するのでしょうか。

人間に生まれて、自己に気付いたとき「自分はどこから来たのだろうか」という素朴な感慨を抱く人は多いでしょう。

生命は連続し続ける存在であり、死後もまた別の生命に瞬時に転生し、存続しつづけていきます。輪廻は存在します。転生は存在します。

そして不確実性過ぎる輪廻転生から脱出するために仏教があると言っても過言ではないでしょう。