人間関係をよくする仏教的方法

私は人生相談を時々受けております。

悩みは大体、人間関係、金銭、健康、この3つに集約されてきます。中でも多いのが人間関係です。金銭、仕事にしても人間関係が絡んでいます。家族、結婚も人間関係が絡んでいることが多いものです。

ですので人間関係をよくすることができれば、人生の大半以上は幸せを感じるといっても過言ではないと思います。

こうした具体的なお話しを数多く聞いておりますと、人間関係の妙味といいますかコツのようなものが見えてきたりします。

いくつかポイントがありますが、整理しますと、

1.適度な距離感(人間関係にはまりすぎない)
2.相性を考慮する(相性の悪い方とは深入りしない)
3.「バランス感覚」を養い「心のささやき」に気付く

この3点に気を留めていけば、人間関係の大半は円滑になると思われます。実はこの3点、仏教的な教えからの見解でもあります。ちょっと説明したいと思います。

1.適度な距離感(人間関係にはまりすぎない)

まず適度な距離です。友人や人間関係は大切ではありますが、ここに依存し過ぎたり、ハマり込むとトラブルが生じたり、悩みの種となっていくことが多い印象です。

適度な距離感があるのが、長期間にわたって友人関係なりを継続できるものと思います。ベッタリな関係ではなく、ほどほどの間柄のほうが、長年連れ添った夫婦でも「空気」のようであり、自然です。

「ほどほどの間柄」といっても、それは時間ではありません。「心の距離」ですね。心の距離を適切にすると、品もよくなり、うるわしい感じにもなってまいります。実際、上品な方やマナーやしつけの行き届いている方、教養のある方は、自然とこうした「心の距離感」を保たれます。

しかし最近は、マスコミなどの影響もあってか、こういう適度な心の距離感を、「親しみが感じられない」「他人行儀」と勘違いして、教養の無い態度で臨もうとする方が少なくありません。

仏教を実践される方は、こうしたぞんざいな態度は控えた方がよろしいでしょう。仏教を実践しなくても、安定した人間関係を保とうとするなら、気を付けた方が良いと思います。

基本は、八正道にある通り「正語」「正業」、また十善戒にもある通り、「言葉」と「行為」に注意をすることですね。丁寧な言葉、うるわしい態度です。これが基本になるでしょう。

そもそも人間は全員、異なる個性と価値観、人生観も持っています。育ちも違います。こういった違う人間が手をたずさせて心から仲良く・・・というのは理想ではありますが、現実的には絵に描いた餅です。

現実は現実です。現実に見合った対処をするのが適切でしょう。ですから、適度な距離感を保ちながら関係を保つのが、実はもっとも無難で、長期間仲良くできる秘訣であったりします。

「心の距離」が近すぎる関係は、壊れやすいものでもあります。ストーカー行為は、一方的に心の距離を近づけようとするもので、破壊どころか逮捕もされます。

バランスを欠いた近すぎる心の距離、殊に一方的な親近感は何かとトラブルを引き起こします。

この辺りの妙味はいくつかの見解もあります。離婚しやすい関係、仲違いしやすい関係は、急に親しくなったりする「熱しやすく冷めやすい」関係に多くみられます。面白いことに人間関係占いでも同じようなことが指摘されています。

心の距離感がほどよく適切なことは、太古の昔から見抜かれていた叡智なのでしょう。

2.相性を考慮する(相性の悪い方とは深入りしない)

次に相性ですが、現実に相性は存在しています。人にはそれぞれ、育ち、性格、価値観に違いがあり、相性の合う合わないが出てきます。中には「生理的に受け付けない」というケースもありますね。男女の間で時々聞きます^^;男女だけでなく、同性の間でも相性はあります。

仏教のサンガ(教団)でも相性を重視していました。ですので「相性を考慮する」ということは、実に大変重要なことであったりします。相性を無視すると、これまた現実的にトラブルや問題を引き起こしますね。

もっとも多少の相性の悪さは克服できますし改善もできます。ここで述べる「相性の悪さ」とは、お互いが成長しあえない(波長が合わない)関係や、生理的に嫌悪感や違和感を覚える関係です。

そして相性で問題になりやすいのは「勘違い」です。実は勘違いして「相性が良い」と思うケースは意外と多くあります。

たとえば「あの人と相性が良さそうだ」と思っても、その心を掘りさげていくと、実は相手への尊敬感は無く、ただ単に「物を言いやすい相手」「扱いやすい相手」という場合が意外と多いのですね。

この関係は本来、お互い成長しあえない(破壊し合う)関係です。しかし「いいように扱えそうだ」というエゴを「相性が良い」と錯覚してしまうのです。実は、こういうケースは案外、多かったりします。結婚した男女の間にも見られます。

ですが結婚した場合、大変な悲劇となることが出てきます。もしも相手の男性なり女性に暴力性が備わると「ドメスティック・バイオレンス」にまで発展してしまいます。

これは深刻な問題です。DVは昔からありますが、昔は理不尽な結婚や、離婚しにくいためDVが横行していた様子もうかがえます。ですが、最近は誤った価値観や思想の影響もあってか、相性の見極めに失敗しているケースが多くなっている様子です。

理由はどうあれ、DVは相性を錯覚、あるいは無視した悲惨な人間関係です。もしも「心のささやき」をキャッチして違和感に気付き深入りをしなければ、こういう悲劇は起きないかったのでしょうが、これこそ過去世の業なのかもしれません。

ちなみにDVの場合は、離婚が最も望ましくなります。余程のことが無い限り、婚姻関係の継続は止めた方がよくなります。

尊敬感を欠如し、単に「物を言いやすい相手」「扱いやすい相手」を相性が良いと錯覚しているわけなんですが、意外と多いものです。DVの場合は本当にお気の毒であります。

ですがこうした「相性の錯覚」は、悲惨とまでいかなくても「都合のいい女」とか「足代わりにされる」などストレスの多い人間関係となっても出ています。異性間だけでなく、同性の間でも起きているのですね。

ですので、こうした危険な人間関係に陥らないために、

3.「バランス感覚」と「心のささやき」に気付く

が大切になってくるわけなのです。

「バランス感覚」があり、また自分の「本心のささやき」に気がつくようになると、人間関係でつまづくことが少なくなってくる印象です。相性が良いのか悪いのかも、なんとなく分かるようになってきます。

もしも違和感があれば、大人の対処をしていくことですね。このバランス感覚は人間関係だけでなく、その他のことに関しても適切になってまいります。

仏教では、バランス感覚のことを「中庸(ちゅうよう)」といいます。中庸とはお釈迦さまが言われた大切な姿勢です。

経典では、熱心に修行し過ぎる弟子に対して「琴の弦の張り」に喩えてアドバイスしています。琴の弦も張りすぎると切れやすくなり、ゆるすぎると良い音を奏でられないとして、中庸のある張りが良いことをお釈迦さまは言い諭します。

仏教の修行はバランス感覚に則って進めていきます。あらゆる点においてです。修行の仕方、心の使い方、心のあり方、全てにおいて中庸を重んじます。

八正道の各項目もそうです。五根・五力という修行法は、まさに5つの能力のバランスを整えることの実践です。四如意足もそうです。

仏教の柱には「中庸」があるのですね。「中庸」は「心の清らかさ」と深く関係しています。中庸とはバランス感覚です。

蛇足ながら、仏教の善悪論には「上手に行うことは善、下手に行うことは悪」といった指摘もあります。バランスが悪いと物事は大抵、上手にできないものです。心が清まっていないことを別の側面から言った鋭い指摘です。

人の能力の優劣には、実はバランス感覚の優劣が根底にあったりします。

ですので、「バランス感覚」を養うことと、「心のささやき」を適切にキャッチすることは非常に大切です。この2つが備わるだけでも、日々の生活も穏やかになっていくと思います。また人間関係も円滑にゆくようになると思います。

多くの方のご相談を受けていますと、

1.適度な距離感(人間関係にはまりすぎない)
2.相性を考慮する(相性の悪い方とは深入りしない)
3.「バランス感覚」を養い「心のささやき」に気付く

といった仏教的な対処方法が効果的だと思われます。これら3つに共通するのは「中庸」です。三番目の「バランス感覚」ですね。一言でいいますと、そうなります。

もっとも、中には理不尽としか思えない状況に陥るケースもあります。これこそ前世の業が関与しているのかもしれませんが、通常は上記の3点を考慮しますと、円滑にゆく場合が多い感じがします。

ご参考になればと思います。